曇天の続き

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2024-02-03 Sat.

火影

2024-02-03

先日、映画を見てきた。

午前中で用事を済ませたことにし、移動。
時間の都合がいい渋谷に向かう。

また、渋谷。
新宿の映画館は落ち着かないし、池袋は街になじみがないし、有楽町とか日本橋とか行くのはおっくうだし、六本木に行くのは屈服した気もちになるし、上野にパルコがあることが今も信じられない。
いろいろと文句を言いながらも、結局は昔から映画を見ていた渋谷に足が向く。

山手線で渋谷駅に到着。
電車に乗る前に移動しておいたので、比較的スムースにハチ公口に出る。
着ぐるみを着ている女の子やら、上半身裸の男や、高尚な主張を展開する中年男性やらを目にして、やっぱりうんざりする。
「ここに来れば、たいていのVHSが控えている」という安心感に包まれて生きてきた十数年こそ、幸せと呼べたのだろう。

渋東シネタワーのTOHOシネマズ渋谷までに行くのに、7分くらいかかった。
「TOHOシネマズ渋谷」とだけ書いておけばいいのかもしれないが、後から見返した時、20年とか30年とか経ってから見返した時に、場所の名前だけ書き残してあっても、どこにあるのかわからなくなるかもしれない、というのが、シネ・アミューズ世代の教訓である。
「Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下」という感じで書いておかないと、本当によくわからなくなるだろう。
要は、ビックカメラA館B館とかあったところの先です。

1階でチケットを買う。
座席がほとんど埋まっていて、最前列の4席ほどしか空いていない。
平日の昼間なのになぜ、という疑問は、後で「毎週水曜は1,300円」ということがわかったことで、きっとそれなのだろうと結論づける。

時間があるので、ふらふら歩く。
食事をとってもいいな、と考えながら歩くと、通りに多くのラーメン屋があることに気付く。
しばらく来ていないうちに、知らない店が増えている。
これらの店に入ればすべて、パートタイムの手によって作られたものを食べることになるのか、と思うと、店に入り金を払うのが惜しくなる。
世の中には、堕落した飲食店オーナーや、借金に追われる雇われシェフや、明るい未来を夢見て真摯に担務にいそしむパートタイムもいるに違いなく、偏見を持ってはいけないのだが、いかんせん金がないので、軽率な行動ができない。
何もかも自分が悪く、金を使わないに越したことはないのだ。
ファミマでおにぎりを買って、高架下の井の頭線改札の前の手すりに寄りかかって、食べる。
車体全体をひっかいたような車が目の前を過ぎていき、昔からの焼き鳥の煙が立ち込める。
マークシティには、いわゆる「100円ショップ」が入っている。

渋東シネタワーに裏から入り、エレベータで7階まで向かい、開場を待つ。
入場を促す声がかかってから、トイレで用を済ませ、ゴミ箱におにぎりの包装を捨て、チケットを係員に見せる。
座席は最前列のやや左側、通路の右側である。
スマートフォンを機内モードにし、マナーモードをオンにし、Kindleで宮脇俊三電子全集7「シベリア鉄道9400キロ/椰子が笑う 汽車は行く」を読む。
シネマチャンネルに出演する福本莉子の美しさに見とれる、というより、最前列から見上げているので、顔が縦に伸びたように見え、まるで巨人である。
これから見ることになる映画がどのように見えるか不安も感じたし、福本莉子の全身を下から見上げることで何か見えないか、とすら思った。
大写しで見る福本莉子はきれいで、これは後でわかるが麻生祐未もきれいだった。

映画「PERFECT DAYS」。

映画のためにわざわざ凝った話なんてこしらえなくていいんだ、とやっぱり確信した。
こういう映画、もっと見たいのに、全然ない。
少なくとも、今日見た予告編に出てきた映画は、全部違うように見えた。

スクリーンの中の東京はごちゃごちゃしていて、偽善にあふれていた。
首都高から見える景色は10m進むごとに様子が激変し、心をかき乱した。
なんでこんなところで生活しているのだろう、と思うし、こんな街の姿を見ている世界に対して言い訳したくなった。
資源が集積した結果の余剰が産まれるところのおこぼれを当てにしてフリーライドできるところしか、自分の生きていける場所はない。

僕の生活は、偏屈な行動規範と、融通の利かないルーティンでガチガチに縛られている。
幸いなことに、少なくともこの10年は、手詰まりになるようなトラブルは起きなかった。
トラブルは起きたのかもしれないが、手をこまねいているうちに通り過ぎたか、業を煮やして誰かが片付けてくれたか、トラブルから目を背け現実逃避したかして、もう忘れてしまっている。

映画でも、何も大きなことが起きていないように見えて、何かしらの出来事が起きている。
主人公の生活は、それらで多少の揺さぶりを受けるのだが、一方でその揺さぶりを吸収し、生活を続けていく。
頑なで譲らない生活ではなく、頑健な生活、ロバストな生活がある。

一方で顧みるに、主人公が持ち合わせている小さな「楽しみ」が、自分には全くない。
世の中には嫌なことばかりがあって、それから遠く距離を置くために、自分の生活様式がある。
多少興味のあることでも、それに夢中になれると思い違いをしている自分に気付き、早々に飽きてしまう。
人に対しては全く興味がないようで、他人を尊重したい気持ちはある。
よって、ひとりで過ごす時間を増やすにはどうしたらいいか、が生きるメインテーマとなっている。
こんな自分はどこでも場違いで、期限を決めて存在を許してもらい、早々と立ち去るのがよい。
場違いではない場所があったとしても、すぐに自問自答に陥り、居心地が悪くなってしまう。
これらは周囲のせいではなく、自分のシステムにすべての問題があり、それがわかり切っているので絶望している。
その相手は、自分にしかできない。

上映終了後、工事の関係で2基しか動いていないエレベータがやはり混雑しているとのことで、係員が案内する階段へと進んだ。
後ろからくる観客が階段を下りながら「映画の続きにいるようだ」と発しているのが耳に入り、全くだと思った。
離脱しないためには、ルーティンにすがるしか選択肢がない。

建物を出て、すぐに地下道へもぐり逃げ込む。
とても、スクランブル交差点を突破する気になれなかったのだ。
階段が面倒でも、地下道は地上と比べれば閑散としていて、半分くらいの時間でハチ公改札横の階段まで出られた。
今後は地下を通っていこう、と決めたが、この決めごとも過去何回かしたような気がする。
「消えていくものは消えていくままにする」が自分のポリシーであるが、VHSでしか残っていない映画が消えていく今を見ると、抗いたくなる。
自分が好きな映画は、見るに堪えないくだらない映画であり、それらは名作でもなく、権利関係もよくわからず、何よりほどんと誰も関心をもたないので、ディスク化の需要にも気づかれず消えていく。
それらが消えると、それを見たはずの自分の経験も、現実のものかどうかわからなくなる。
自分の記憶しか頼りにできない人間は、脆い。

昼食をとらなかったのは、映画の後で酒を飲みたかったのもある。
前から行こうと決めていた、やきとり屋に入る。
客は4組ほどいて、焼き場1人、フロア1人で回していた。
他の客はすべてこれから飲み会の0次会だったようで、夜の街も元に戻りつつあるのだろう。
後から調べて、多種業態を展開する会社が運営する店だと知ったが、別にそんなことは気にする必要もなくおいしかった。

これは一般的な話だが、今の時代、外でちょっとひっかけるだけでも3,000円、居酒屋で軽くとなれば5,000円、食事でもなろうものなら10,000円くらいの出費を覚悟しなければならなくなった。
金のことが気になって邪魔をする一方で、そんなに気にするほど金がないのか、とも思う。
でも、アンガールズの田中さんが番組で言及していたが、僕も時給750円、日給8,000円の時代を過ごしてきたのだ。
1時間働いてラーメンが食えるか、8,000円×20日で1か月の家賃と生活費が支払えるか、という感覚が、ずっと抜けない。
もしくは、金を惜しむのは、金を払っていながら惨めな思いしかできない自分に辟易しているからではないか。
そこにいるだけで自己憐憫にたどり着くしかない自分とつきあうのが、もう本当に嫌だ。
そして、酔っぱらっても家に帰らなければならない。
何か、とても大きく間違っているような気がしてならない。

ところで、今日の「めぐみのラジオ」を聞いていたら、岡垣バイパスの車線拡張工事が終了し、今日から国道3号線は北九州から福岡まで全線4車線以上となるそうだ。
今更感があって信じられないくらいなのだが、できてよかったし、永遠にできないように思えた黒崎バイパスもできたことだし、すべてよかった。

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