重心
今夜の「ソロモン流」、美容のために飲むゼリーのCMに出ている会社代表の女性が取り上げられる…。
という夢を見た。
朝刊を確認して、そんなことが起こっていない現実世界に安心する。
悪夢を見る体質は、まだ改善されてないらしい。
わかりづらくて恐縮であるが、実名を出すのも気が引ける。
誰かパロディにして、解禁してくれればいいのに、と思う。
それにしても、福岡は通信販売の会社が多い。
新聞に時々掲載される、「うるおい対談」の社長も、見ていて癖になる。
今夜の「ソロモン流」、美容のために飲むゼリーのCMに出ている会社代表の女性が取り上げられる…。
という夢を見た。
朝刊を確認して、そんなことが起こっていない現実世界に安心する。
悪夢を見る体質は、まだ改善されてないらしい。
わかりづらくて恐縮であるが、実名を出すのも気が引ける。
誰かパロディにして、解禁してくれればいいのに、と思う。
それにしても、福岡は通信販売の会社が多い。
新聞に時々掲載される、「うるおい対談」の社長も、見ていて癖になる。
つい最近、「晴れ、ときどき殺人」という映画を観た。
井筒和幸監督、渡辺典子主演。
それはそうだろう、みたいな結末である。
その映画に、太川陽介が出演していた。
太川陽介といえば、俳優であり歌手でありルイルイであるが、今となっては藤吉久美子の夫で、途中下車しているというイメージが定着してしまった。
なので、太川陽介が演技をしている姿を見ると、いわれのない違和感を持ってしまう。
さて、その太川陽介が出る「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」が好きで、僕はよく見ている。
この番組は、太川陽介と蛭子能収、そして各回ゲストの「マドンナ」の3人が、3泊4日で路線バスだけを乗り継ぎ目的地を目指す、という企画である。
「路線バスで県境を越えるのは難しい」「コミュニティバスが隆盛している」という事実を知ったのは、この番組からである。
その番組が、今日放送された。
これまで春秋の周期だったのが7月末に放送されるのは、誰かのスケジュールがあったのかも知れない。
今回は、前回の目的地であった出雲から、枕崎を目指すという行程。
これは間違いなく北九州を通ることになる、と予想される。
実際、関門国道トンネルの人道を歩いてわたり、めかりから九州に上陸した。
これまでの番組では僕が詳しくない土地が取り上げられていたのでわからなかったが、この番組で地元が取り上げるとよくわかったのは、経路選択の難しさである。
地元のバス事情を知っていると、さて何番のバスに乗ればいいかといろいろな案が思いつき、どれを選択するか非常に悩み、あれやこれやと言いたくなる。
今回の番組では、まず門司港駅まで歩いた。
めかり絶景バスが来れば奇跡だが、そんなわけもないので、ここは歩くのが正解だと僕も思う。
次に、門司港駅でバスセンターの有無を尋ね、そんなものはここにはないと言われ、一行は小倉の砂津を目指した。
地元の方の愛想のない(ように画面からは見える)様子に、気質的なものを感じるのだが、たぶんそんなことを言っていたら、この番組で感じるストレスに耐えられないであろう。
旧電車通りを進む路線バスに乗ると、目的地周辺で観覧車がお出迎え。
そう、あれに見えるが「チャチャタウン」である。
TVで砂津バスセンターを見るとは、思ってもみなかった。
ちなみに、読み方は「すなつ」が正しい、はず。
砂津バスセンターで次の戦略をバス会社の案内所の方に相談し、中年女性が営業所の社員に丸投げする(ようにも見える)様などは、実に見所があった。
営業所の社員との相談の末、経路は田川快速を使って田川にある後藤寺へ、そこから福岡天神を目指す、ということになった。
おお、これぞ僕が子供のころ夢見ていた、「太川陽介 in 田川」である。
一行は田川快速に乗り、国道322号線を経由し、後藤寺へと向かう。
そして…。
後藤寺での乗り換えはオールカット。
天神行きのバスの姿も映らない。
…あまり言いたくはないが、もしかしたら後藤寺ではカメラを回さなかったのかも知れない。
後藤寺から天神行きのバスは路線バスである、という判定も、うーん、そうか。
天神からも紆余曲折があったが、何とか福岡県を抜けた。
そして、今回も無事、枕崎へ到達。
よかった、よかった。
それにしても興ざめなのは、福岡のバス会社の対応である。
「この先に行く路線バスはありません」と言いきる感じ、まさにそうだった、と昔を思い出す。
なお、確か甘木のバスセンター辺りで、ミッチョンが「ここのトイレはきれいでよかった」と言うのを僕は聞き逃さなかった。
もし、後藤寺バスセンターのトイレと比較しての発言であるならば、全く同意する。
僕は、20年以上前の段階で、あそこにあるトイレに入れなかった。
僕のPCのWindows Media Playerには、「子供向け」というジャンルが自動的に付けられたアルバムが1つだけある。
それは、大正九年の「モンドダイヤ」である。
何をもってして「子供向け」なのか、理由はわからない。
さて、その大正九年だが、どうやら近々アルバムを出すようだ。
とはいえ、シングルベストなので拍子抜けではあるが、何とかやっている様で一安心。
真偽定かでない報道(?)によると、「徐々に活動を開始している」とか。
発売前のCD情報をこの日記に書き込む、ということは、当分の間は買わない、ということである。
ところで、大正9年は西暦1920年である。
僕はこのことを、大正九年の登場によって覚えることができた。
この記憶によって、大正9年生まれの祖父の年齢計算が容易になった。
そりゃ、こちらのリアクションがこないだと違うのは認めるけど、仕方がない。
何かお考えあっての行動だろうから、何が起ころうとも覚悟の上なのだろうし。
ただ、彼はそれほど悪い人ではないとは思う。
率直さを利用する輩もいるから、嫌になる。
結果論から言って、三浦友和氏はすばらしいな、と改めて思う。
いわゆる「これでいいのか本」の福岡市版が刊行されることになった。
「これでいいのか本」とは、マイクロマガジン社が出版しているシリーズ本である。
各地域の特徴を分析し、「これでいいのか」と問題提起している(のだと思う)。
結構な種類が出ているところを見ると、好評のシリーズなのだろう。
これまでは東京かその近郊を取り上げていたのだが、今回初めて東京圏以外として福岡市をフィーチャーした。
地元の方が執筆や編集に携わっているところに、好感を覚える。
僕が現在居住している地域についての「これでいいのか本」がすでに出版されている。
地元のことを知っておこう、という思いから読んでみたが、何となく理解できたようなよくわからないような。
まあ、ステレオタイプがないと、この手の本は成立しない。
さて、恐れるのは…、というのは、もう言わなくても察しがつくだろう。
もし出版まで漕ぎつくようなことがあるのなら、読んでみたい。
いくら学習に時間をかけても、効果は薄い。
1日数時間取り組んでみようが、数分の勉強と、学習効果はさほど変わらない。
そんなお年頃である。
不謹慎ではあるが、ニュースを見ていて気づいたのは、長岡市の飛び地についてである。
最初にTVに表示された地図を見たときは、何かのミスによって、領域が途切れているものだと勘違いした。
改めて調べると、合併した地域が飛び地となっている。
経緯を知り、地形などを詳細に見れば納得できるのだが、色分けされた地図だけ見ていると気持ち悪い。
今日、ついに新聞からGコードが消えた。
ひとり暮らしを始めたころ、自宅のTVはビデオデッキ内蔵型TV、いわゆる「テレビデオ」だった。
その頃は、Gコードの恩恵を大いに受けた。
たかだか8桁の番号を入力するだけで、録画予約ができる。
しかも、ゴールデンタイムなどの時間帯には桁数が少なくなるように工夫されている。
「何と素晴らしいテクノロジーだ」と感激した。
Gコードが世に出てくる前、バーコードで録画予約ができるビデオデッキがあった。
知人宅で見たことがあるが、バーコード表が冊子になっていて、バーコードをスキャナで読み取れば、曜日、開始時刻、終了時刻、チャンネルがビデオデッキに取り込まれ、録画予約が完了する、というものだった。
そのシステムにもとても驚いたが、やはりGコードの威力にはかなわない。
しかし、それも昔の話。
数年前に買ったHDDレコーダーには電子番組表を使って録画予約する機能が搭載されており、それはそれはとても感激した。
今となっては、デジタル放送で自動延長や放送予定の変更にも対応してくれる。
Gコードは結局、20年くらいもっただろうか。
新聞からGコードがなくなった分、番組表が充実するのでとても楽しみだ。
とにかく、お疲れ様でした。
朝日新聞のサイトにキタキュー ロケ地探訪というコンテンツがある。
地元出身としては、読むと実に楽しい。
この中に、「小倉城口飲み屋街@小倉北」という記事がある。
読めばわかるが、僕が生まれ育った街の駅前の一角は、こんな感じである。
記事中に出てくる「気安く楽しめるレトロ」というのが、いい。
「レトロ」とは実に便利な言葉である。
小倉を訪れた人に「駅前からちらっと見える、あの店の名前はどういう意味なの?」と説明を求められる身にもなって欲しい。
何でも残せばいいのか。
買ってきた牛乳。
「大自然から生まれました」的なことが書いてある。
製造元をみると埼玉県行田市とある。
行田あたりで、もう大自然が広がっているのだろうか。
そもそも、「大自然」の定義がわからないので、確認しようもない。
以下は、この日記にふさわしくない、かなりベタな内容である。
今となってはどうしていたのか、わからないことが数多くある。
そのひとつが、映画館で上映される映画の情報をどのようにして集めていたか、ということである。
小倉にいるとき、映画の上映情報は、新聞から得ていた。
スクリーンの数が、新聞で確認するくらいで十分なくらいであったからだ。
新聞に上映開始時刻が載っていない場合は、新聞に載っている番号に電話して、問い合わせた。
僕が東京で初めて映画を観たのは、大学受験で上京したときだ。
そのときは何を見るか事前には決めておらず、新宿の紀伊国屋書店で雑誌「MONTHLY WALKER」か「MEN'S WALKER」を立ち読みし、めぼしい映画を見定め、地図を何となく暗記し、映画館へ向かった。
行ったのは渋谷のユーロスペースで、そのときは今の場所とは違う場所にあって、うろ覚えの記憶で行ったものだから、当然道に迷った。
東京に出てきてから、一時期は東京中をかけずり回って映画を見に行ったが、そのときはどうしていたのだろう。
そこで登場するのが、やはり「ぴあ」である。
「ぴあ」に掲載された映画案内の中からめぼしい映画を見定め、上映館のページに飛び、上映時刻を確認し、映画館の場所を覚えた。
そして、道に迷いながらも映画館にたどり着き、映画が始まる前に次回上映のフライヤーを集め、内容を吟味し、次に見に行く映画を決め、帰宅途中にコンビニに立ち寄り、「ぴあ」で上映時刻を確認する、というルーティンを繰り返した。
もちろん、「ぴあ」は立ち読みですませていた。
…ということをしていたとは思うのだが、2011年から見ると、「本当にそんな神業のようなことができていたのだろうか」とすら思えてくる。
「ぴあ」を立ち読みすることによって、観たい映画を探し、観に行きたいと思う映画を記憶し、映画館の場所を記憶し、上映時刻を記憶し、それでやっていけたのだ。
今となっては、立ち読みするほどの体力はないし、記憶力も失っている。
昨年の夏、福岡に行った際に、福岡で映画を観ようと思ったのだが、観たい映画をどうやって探せばいいのか、一瞬困った。
結局ウェブサイトに頼ることになり、そして結局キャナルシティのユナイテッド・シネマで「告白」を観るという、パッとしない行動に終わった。
「ぴあ」がなかったころ、映画ファンは映画館を回って上映情報を得ていた、と聞く。
1990年代後半の僕には、「ぴあ」がなかった時代のことがよく理解できなかった。
「ぴあ」がないなんて、不便すぎて身動きが取れないだろう、とまで思った。
それが今となっては、ウェブがなかった時代のことすら忘れてしまっている。
そんな「ぴあ」という雑誌も、最終号を迎えた。
ふらっと街に出て、時間があるから映画を観ようとしても、もう「ぴあ」から情報を得ることはできない。
現状では、スマートフォンかなにかでウェブサイトにアクセスし、小さな画面にいらだちながら情報を得なければならない。
「東京ウォーカー」か「TOKYO1週間」でもいいのだけど、…いや、「TOKYO1週間」はもうないか。
とにかく、お疲れ様でした。
予想、と言うより、数打ちゃ当たる方式の、当たる確率の低い賭け。
矢部さん、本当に走るのだろうか。
江頭さん、どのように投入するかはわからないけど、そもそも出てくるだろうか。
一応、説明する。
番組をどう進行させるのかが、不安だから。
いくら「英雄」扱いとはいえ、やはり生放送だから。
ところで、SKiか…。
「内村さまぁ〜ず」に下田美咲というタレントが出ていた。
言葉を選ぶのが難しいが、ちゃんとした人が周りにつけば、「あらびき団」でなくとも、いずれはメジャー・メディアに出てくるのかも知れない。
こちらにはキャパシティーがないので応援することはできないが、可能性を信じて暖かく見守っていこう。
まあ、上原さくらみたいなことがあるかも知れないじゃない。
この話とは関係はないが、露出が多く脇が甘い人が多いので、ネタには事欠かない、のだろう。
何より今は、台風情報に専念してほしい。
放送しなくても、ウェブサイトで会見が見られる利便性を尊びたい。
日曜の就寝時刻は早い。
月曜に備えて、ではなく、週末のアルコール摂取で早々にダウンしてしまうからだ。
ただ、昨夜は珍しく2時近くまで起きていた。
三連休で気が大きくなっていたからかも知れない。
もともと「海の日」の祝日化には反対だったが、夏の入り口に三連休を設けるという結果だけを見ると、それはそれで良かったんじゃないかと思えてくる。
「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ために、今夜も干物で乾杯しよう。
なお、ご存じでしょうが、「国民は、海洋の恵沢を認識するとともに、国又は地方公共団体が実施する海洋に関する施策に協力するよう努めなければならない」と法律で決められている。
それはさておき、遅くまでTVを見ていると、突然「シザーズリーグ」が始まった。
「シザーズリーグ」とは、6つのヘアサロンの美容師がその腕を競うという番組。
なお、その6つのヘアサロンの名を諳んじられるか、というのが、この日記が当初から取り上げている三大テーマのひとつである。
実際の「シザーズリーグ」は、ずっと昔に終わってしまった。
僕が見たのは、「ビューティースタジアム」というTVKの番組だった。
番組内容はその目で確かめてもらうとして、今後の展開を期待を持って見守っていきたい。
なお、番組では出演希望のヘアーデザイナーを募集しているが、その応募条件は「美容師免許を取得している方」である。
こちらの熱いバトルを見ていたので、未明のサッカーの試合を見るはずもない。
実は、情報バラエティ番組を見ない生活を過ごしているため、ここまで盛り上がっていることも知らなかった。
てっきり、ソフトボールのカナダカップのことで世間は盛り上がっている、と勘違いしていたのだ。
…という負け惜しみをぼやくと、「情報バラエティ番組で取り上げるから、人はスポーツ中継を見るわけではないよ」と指摘された。
みんな自然に応援したくなるのだ、だからこれまでもなでしこリーグにこぞって足を運び、TEPCOマリーゼの活動自粛に憤ってきたのだ、と言う。
サッカー女子日本代表というと、どうも2004年4月26日の試合における「あの熱狂はどこへ?」感が忘れられないのだが、そんなことはもう忘れてしまっていいのだろう。
勉強不足を謙虚に恥じ、まずは「日本は、サッカーの国になれたか。電通の格闘。」を読み、頭をその気にさせることから始めてみたい。
それでも、イッチョカミはしたいので、午後7時からBSで放送された試合は見た。
決勝の試合しか見ない、とは、なんと不謹慎きわまりない行いなのだろう、と自己嫌悪。
自分に都合の悪いことは即座に忘れることにして、サッカーについてほとんど知識がなくても、あの試合を見て心が動かない人はなかなかいない。
今後いろいろな人が動くのだろうが、僕は引き続き、今年の「紅白歌合戦」のゲスト審査員予想に注力していきたい。
そして、水泳や陸上競技に頭を切り換える世間についていく努力をしたい。
さて、サッカー協会の今年度決算は、これで黒字になるだろうか。
「なぜサッカーだけで食っていけないのか?」ともし僕が疑問に思うようになったら、まずは試合に足を運ぶことをするだろう。
増やしたところで、結局どこかに留まり、現場には届かない、などという現実から目を背けた方が、気分的にいい。
タブーに挑戦。
結局、「東北六魂祭」のコンセプトは、わっしょい約百万夏…。
ところで、昨日の「音楽の日」は、「たぶん」なかなかいいものであったと思う。
少なくとも、録画を放出していた方式のころよりも、ずっといい番組だったのではないか。
毎年やろうとか、毎シーズンやろうなどという勘違いが生まれなければいいな、と懸念。
「たぶん」とつけているのは、番組をまともに見ていなかったからだ。
相変わらずウィスキーで酩酊し、しかも途中からBSプレミアムで放送していた草間彌生の特集を見ていた。
アルコールで頭がグニャグニャになりながら、草間彌生の作品を見ていると、酔いがよくすすむ。
おかげでよく眠れた。
朝日新聞に掲載されている、「作家の口福」という連載が好きである。
読んでいると、暑い中でも食欲がわいてくるので、今の時期は特に助かる。
一方で、作家は文章で人をその気させるから、少々怖い。
僕は思う。
スポンサー・マターとはいえ、あの放送局で10%近くも取れる番組を終わらせていいものだろうか。
年末まで間があるのに、早めにアナウンスするのはもちろん、宣伝のためである。
ちなみに、次の月曜は祝日です。
そして、あの放送局なら、いずれは必ず何らかの形で復活させるに違いない。
この予言のポイントは、時期を明言していないところにある。
今のキャストに変わってから、レギュラー出演しているメンツをそらで言えるようになったのに、実に残念。
まあ、この15年は番組を見たことのない者が言うことでもないが。
見てないくせに「終わらないで」と言うほど、図々しい性格でもない。
ただただ、宍戸大全先生のことを思うばかり。
暑い。
気温が高いのは、まだいい。
むしろ、少々暑いくらいの方が、調子が良かったりする。
ここは、「私は九州の人間ですけん、ちょっと暑さに強かごとあるきに…」と釈明会見しておきたい。
何が嫌かと言えば、暑さで汗をかくことだ。
加齢のせいなのだろうか、ここ数年、やけにべたっとした汗をかくようになった。
これが不快でたまらない。
さて世の中、忘れられていなければ「節電ブーム」である。
部屋を暗くしてデスクの上にある蛍光灯をつけていると、蛍光灯の発熱で温度が上がる。
そろそろLEDに買い換えてもいいのだろう。
暗闇の中、TVを付けているだけでも、TVからの発熱で温度が上がる。
そろそろTVなんて見なくてもいいのだろう。
それにしても、家電製品を買い換えたところで、なぜか電気使用量は一向に減らない(我が家の場合)。
ところで、最近お気に入りの涼の取り方は、グラスに大量の氷を入れ、きつめのジンジャーエールをそそぎ(おかげさまで、今のところ昼間からアルコールを服用するようなことにはなっていない)、paris matchを聴きながら飲み干す、というものである。
…とここで、paris matchの曲を聴くためにオーディオの電源を入れているとなれば、「不要不急の電力は使うな」というきついおしかりを多方面から受けることになるだろう。
誤解を避けるために付け加えると、paris matchは僕の鼻歌で再生している。
効果のほどは約98%減と思われるが、緊急時なので仕方がない。
もっとも、道徳心の高い国民であるなら、氷なんてそもそも欲してはいけない。
ああ、何人もウェブ上では清廉潔白な人物でいなければならないものである。
規範に縛られることで得られる快感を楽しもう。
宮尾すすむ氏が亡くなった、との報道。
「77歳での旅立ち」がこのところ立て続けである。
昭和九年会の方々は安閑とはしていられない、というのは、(特にウィキペディアの1934年のページを見ると)冗談にもならない。
皆様ご自愛くださいますよう。
報道によると、福岡県福智町の観光大使に、IKKO氏の起用が検討されているそうだ。
近く町民に計画を提示する。
時代が大きく変わったものだ、と思う。
そろそろ、「観光大使とは何かね」について考察を加えてみたい。
上京して気づいたのは、全国高等学校野球選手権大会の地方大会、いわゆる夏の甲子園の予選は、独立UHF局にとって重要なコンテンツである、ということだ。
他にやることがないのか、至れり尽くせりの取り上げ方である。
おかげで、毎夏、地方予選をがっつり見ることになる。
甲子園に出場する代表校が決まることには、すでにおなかいっぱい。
甲子園大会が始まることには、すっかり興味を失っている、という状況である。
ただ、今年は節電しろとでんこに言われているので、予選から本戦の決勝まで一切見ないことにしようと思う。
それにしても、開会式に参加する人たちは、本当にご苦労さまである。
わざわざ遠い場所からやってきて、炎天下の中を行進して、また帰るのだろう。
選手以外にも、かなりの人員が駆り出されているようだ。
その模様を中継して、スポンサーから広告費をもらっているとはいえ、果たしてバランスできているのか疑問に感じる。
よほどのことがない限り、この開会式のシステムは変わらないのだろう。
よほどのことがない限り。
「テレビを輝かせた100人」を視聴。
以前にも同じような番組を放送していた気がするが、あの時は生放送だったし、それ以外の番組についてはよく覚えていない。
他局の素材を惜しみなく使っていたように感じる。
そして、取り上げている人々に偏りも感じる。
まあ、局全体でバランスを取るのだろう。
…と、この程度のことしか言えないのはもちろん、ウイスキーで泥酔状態にありながら視聴したからである。
録画はしたけれど、もう一度見ることはしばらくはないだろうし。
本当に100人出たのかについても、どうでもいい。
1983年に起きた「いいとも」での乱入が放送で見られる時代が来るとは、生きててよかった。
好きな映画のジャンルは、ロードムービーかファンタジーである。
ファンタジーとはどういったジャンルか、と問われると、答えに窮する。
むしろ、どんな映画でも力業でファンタジーに入れてしまうことができそうな気もしている。
ファンタジーという概念に気づいたのはつい最近で、「鍵がない」を見たときに思い立った。
その軸で自分の好きな映画を整理し直せば、何か共通点が見えてくるのではないか、と考えている。
ただ、ファンタジーなら何でもよい、というわけではなさそうだ。
とりわけ、大がかりなファンタジーは苦手である。
現実から少し離れる程度が、僕にはちょうどいい。
さて先日、「三大20世紀末ファンタジー邦画」のひとつである「1999年の夏休み」を見た。
最初に見たのは記録がないけれど、記憶によればおそらく1994年のはずだ。
深夜にTVで放送しているのを途中から見て、途中で怖くなってしまい、見るのをやめた。
次に見たのは、1996年5月15日、と記録にはある。
レンタルビデオショップでVHSを借りてきたのだと思う。
このときは、からくりを知っていたので、安心して最初から最後まで見た。
1999年になったのを記念して、「映画館で再上映される」というフライヤーをもらったことがあったが、そのときは見に行かなかった。
それ以降は、まったく見ていない。
長い間見ていなかったにもかかわらず、見返すと、内容を細部まで思い出す。
昔見た映画のことはよく覚えているものだ。
設定、配役、ストーリー、どの点においても完成度が高い作品だと思う。
アマゾンのカスタマーレビューには25個のレビューが寄せられており、うち24個は星5つ、残りの1個は星4つである。
ところで、その他の「三大20世紀末ファンタジー邦画」と言えば、ひとつは「20世紀ノスタルジア」である。
ぜひ見直したいところだが、近隣のレンタルショップにはDVDが置いておらず、利用しているネットレンタルにも置いておらず、僕の手元にもない。
残りのひとつは…、忘れてしまったのか、今のところ空席である。
ぜひ推挙願いたいし、もちろん各人が決めてもらってかまわない、この星は自由だから。
実に、夏らしくなってきた。
5年後に行うタスクを5年後に思い出せるようにするには、どうすればいいだろうか。
以前、ひとり暮らしを始めるにあたって、いわゆる「電話加入権」というものを購入した。
僕が購入したころには、すでに「施設設置負担金」という名称になっていた。
それはともかく、僕はNTTに「施設設置負担金」を払うことはせず、別の人が持っていて、すでに使われていない電話加入権を譲り受けた。
ベスト電器小倉本店で、確か50,000円くらいで買ったと思う。
いずれにしても、今の若い人にとっては、何のことだかさっぱりわからない話だと思われる。
やがて、いわゆる「直収電話」というものを自宅に導入した。
直収電話にするためにNTTとの電話契約を休止する必要がある、と言われ、NTTに電話をし、手続きをした。
一旦利用を休止すると、NTTは契約を5年間は休止扱いにする。
5年経過すると、その次の5年間に休止期間の更新を申し立てない限り、契約は解除扱いになる。
契約が解除されれば、加入電話が必要になったときに、また施設設置負担金を支払わなければならない(プランに依るが)。
なので、解約したくないのなら、5年ごとに(あるいは最低でも10年に一度)利用休止の更新をしなければならない。
今、インターネット・プロバイダの変更を検討している。
その手続きのため、古い書類をチェックしている過程で、利用休止の更新の必要性に気づいた。
利用休止の手続きをしてから、5年半が経過していた。
で、NTTに電話し、手続きを終えた。
NTTからは、「もし利用休止を更新する場合は、また5年後に更新手続きをお願いします」と言われた。
そこで、最初の疑問である。
5年後にこの手続きを思い出すようにするために、今何をしておけばいいのだろう。
まあ、こうやって書いておけばいいのだろう。
この記事は、ユニバーサルサービス料に対するクレームのつもり、ではない。
国会中継のため、「スタジオパーク」の放送が再び中止された。
今回は録画で収録して、別の日に放送する予定。
僕が考える「アフター4」の過ごし方。
木陰で、クロスワードパズルを解く。
新聞に、街の声として、「終業時間が早まれば、子供と一緒に遊園地に行ける時間ができる」とあった。
おそらく、枯れ果てるまで電気を使いたい衝動に駆られているのか、僕が知らないところに電力使用ゼロの遊園地があるのか、街の人が嘘をついているのか、(たぶんないけど)新聞が街の声をでっち上げているのか、どれかなのだろう。
ところで、実家からの便りによると、北九州市では釜石からのがれきを受け入れ始めた。
一説によれば、製鉄会社のつながりがあるから、とのこと。
自宅にあるアナログチューナーTVを「地デジ対応」にしてみた。
チャンネルの対応を変えてみたのだ。
具体的に言うと、3を2に、10を5に、12を7に、MXを9にetc.。
それにしても、好きな芸人とは対照的な、嫌いな芸人ランキング。
現実の番組表と乖離していて、何だか少し怖い。
「福岡だから、みんな言葉遣いが荒い」などということは一切ない、ということを強く主張する。
そんな短絡的なステレオタイプが当てはまらない人が大勢いらっしゃることを、僕は知っている。
どこの地域にでも一様に、対応を間違ってしまう人はいるものでしょう。
「福岡恋愛白書6」を視聴する。
篠田麻里子目当て、ではないよ。
まず思ったのは、放送というメディアのポテンシャルについてである。
今回、たまたま居住地の放送局で放送されていたので視聴したのだが、このような番組、放送という形態で提供されていなければ絶対に見なかっただろう。
他局に売ったのはDVDの宣伝という効果も見込んでいると推測するが、こちらとしては非常に助かる。
1本目。
つくづく感じたのは、もし地獄でエンドレスに見せられる映像とはどのようなものかといえば、独白の多い地元方言ドラマである、ということだ。
もしかしたら、地元出身者でない俳優が方言を話していたことに起因する違和感だったのかもしれない。
エピソードにドラマ性が全くなく、ストーリーが成立までいたっていない、とまで感じた。
TVドラマに仕上げるにはかなりの苦労があったのだろう、と勝手に同情する。
独白が多用されていたのは、おそらくそのせいなのだろう。
なお、このドラマによると、筑豊電鉄沿線における「デートの定番」と言えば、「黒崎で映画か、小倉でショッピング」なのだとか。
黒崎で映画、というのもここ最近では難しいことのように思う。
2本目。
実に無難でまともな内容だった。
1本目と比べると、力の入れ具合に差があったように見受けられる。
全体を通じて、ドラマの端々に現れる企業名、唐突に差し込まれるラーメン店での食事などには、痛々しさを強く感じた。
それでも、決して「この程度だったら、作る必要がない」とは考えない。
経験値向上のためには、このような形態をとることも必要である、と考える、謙虚さを備えることが前提だが。
2本ともに共通する結末は、ドラマで取り上げられている恋愛がどちらも結婚まで至る点である。
20代の男女比率がアンバランスな福岡において、このことは切実な問題を示唆している、と見た。
彼女については、以前も考察したことがあるが、ここでは別の見解を示そうと思う。
勝間和代氏の話し方は、シルクさんのそれに似ている。
年代と知性が土台として共通するからなのだろう。
山本モナが、芸能界から引退した。
僕は、山本モナはかなり優秀な人材である、と考えてきた。
その印象を決定づけたのは、彼女が「さんまのまんま」に出演しているのを見たときだった。
普段のこの番組では、さんまさんがまずネタふりをし、そのふりに基づきひとりで話し始め、ひとりで盛り上がり、コントが始まり、オチまで持っていき、自分でつっこみ、そしてまた自分に向けてネタふりをしている。
その一連の行為を見て、僕は「これは、いったいどういうことなのだろう」といつもあきれている。
しかし、山本モナの出演回は様相が異なった。
さんまさんのひとり話を阻止し、さんまさんの話を引き出し、まともな会話が自然に繰り広げられていた。
あの年代で彼女のような対応ができるのは、実に希有なことだったと思う。
相手のペースに惑わされず、きちんとやりとりできるまでに持っていく山本モナの実力が存分に発揮されていた。
こうやって支持を表明すれば、反射的に不快な反応を示す方もいらっしゃることだろう。
そして、持ちつ持たれつがうまく機能しなかったら、全体的に言って脇が甘かった結果に終わったのだろう。
まともな人から去っていくのが芸能界、というのが僕の持論である。
お疲れ様でした。