曇天の続き

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2010-08-31 Tue.

要約

2010-08-31

TBSの番組といえば、昔は次のようなスタイルだった。
たとえば1時間番組であれば、最初の15分は前回のダイジェスト、次の20分が本編、後の15分が次回の予告(残りはCMなど)。

現在は、少し違う。
深夜の35分番組であれば、最初の5分だけ見れば、内容はほぼ把握できる。
録画している場合は、最初の5分は飛ばせばいい。

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2010-08-30 Mon.

油分

2010-08-30

トンカツ店で夕食。
最近近所にできた店で、ご飯や味噌汁、サラダ、カレー、パンが食べ放題、というスタイル。
僕は宿泊施設以外のバイキングに積極的に行かないことに決めているのだが、一応視察を兼ねて出かけた。

結論から言って、僕の体はもはやトンカツ店を受け入れることはないことがわかった。
衣が胃に重くて、食後7時間ほど胃もたれが続き、その晩はよく眠れなかった。
ましてや、トンカツ店で食べ放題などありえない。
カレーが食べられるといっても魅力にならない。
だったら、CoCo壱番屋に行くことにする。

ところで、よく行くカレー店では時々、サービスと称してカツカレーが安くなる。
客のほとんどがカツカレーを注文しているを見ていると、カツカレーを頼まないと損をする気になる。
そして、僕もカツカレーを注文する。
でも、注文したことを必ず後悔する。

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2010-08-29 Sun.

増設

2010-08-29

自宅にあるノートPC(文房具として利用)の内蔵HDDの空き容量が、以前から逼迫していた。
一瞬だが、空き容量が8MBになり、PCがしばらく苦悩していたこともあった。

その問題がひとまず解決した。
ネットワーク対応の外付けHDDを購入したのだ。
自宅にあるいくつかの不用品をオークションで売り抜け、予算を捻出できたので、ようやく購入するにいたった。

それにしても、値段が想定よりかなり安かった。
2.5インチ、ファンレス、320GBで10,000円以下。
この値段まで下がっているとは知らなかった。

さっそく設定。
新しい電化製品を買ったら、まずはファームウェアを更新する、という作業が、もはや常識となってしまった。

iTunesのライブラリを外付けHDDに丸ごと移す。
これで、PCのHDDの空き容量が35GB近くになった。
LANにつながっていれば、PCのiTunesで音楽を再生することが可能。
よかった。

USBでプリンタをHDDにつなげられるのがとても助かる。
これまで、机からプリンタの位置が遠くて、印刷するのにわざわざプリンタの近くまでPCを持って移動し、PCにUSBケーブルをつないでいた。
それが億劫でプリントアウトしない、ということもあったので、プリントサーバを買うか、新しいプリンタを購入するかを検討していた。
今回の導入で、LANから外付けHDDのUSBポート経由で印刷できるようになった。

ランニングコストも安い。
1日中電源を入れていても、電気代は1か月で120円ほどだ。
ファンレスなので、付けっぱなしにしていても音はほとんど気にならない。
ただ、発熱は気になるし、寿命もあるだろうから、不在時は電源をオフにしておいた方がいいのだろう。

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2010-08-28 Sat.

渉猟

2010-08-28

初めて入るラーメン屋。
ラーメンを一口食べると、ほとんどの場合「発見した!!」と思ってしまう。

でも、多くの場合、その感動は決して最後の一口まで続かない。

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2010-08-27 Fri.

密事

2010-08-27

科学の発展を政治的に制限することは、得策ではない。
結局、誰かが密かに技術開発を進めることになり、やがて手が着けられない状況に陥るから。

以上が、映画「ドラえもん のび太の大魔境」を見た感想だ。
核攻撃を無害化させる科学・技術が開発される日が来るだろうか。

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2010-08-26 Thu.

端末

2010-08-26

今の携帯電話を購入してからそれなりに年数が経過した。
そろそろ買い換えようかと思い、情報収集。

最近の携帯電話には、魅力的な新機能というのが見当たらない。
光発電とか着せ替えケータイとかでは、買い換える気力が湧かない。
ひとまず進化は止まったか。

それに、本体の価格が高い。
ネットブックやiPadが楽々買える値段だ。
ケータイでウェブを見ない、電話もかけない僕にとっては、用意されている割引の恩恵を受けられない。
携帯電話の利用料金が2,000円にも満たなかった月があり、人生を少し考え直してしまった。

今後の携帯電話に期待すること。
まずは、できるだけ小さくなって欲しい。
近頃はどれも画面の大きさを重視しているようで、本体の小さな機種が少ない。
「これがいいな」と思ったものが、「コドモバイル」だったりするのが現状。

次は、携帯電話であらゆる家電が操作できるようになって欲しい。
単なる「リモコン」ではなく、自宅の無線LANを通じてサーバにアクセスできる情報端末として使いたい。
例えば、リビングにいながら風呂の湯を貯めるとか、寝室のエアコンを作動させるとかできるようになって欲しい。
というより、まずは家中の電化製品を制御するホームサーバが欲しい。
外出先から操作できなくてもいいので、せめて自宅内で遠隔操作できるようになることを希望する。
あと10年くらいかかるだろうか。

あとは、SMSの互換性。
それが実現すれば、たぶん携帯電話のウェブサービスは止めるだろう。

ところで、iPhoneの購入を検討するために、店員から情報をいろいろ教えてもらった。
良心的な店員は、「これは電話ではなく小型のコンピュータなので、そのつもりで」と親切に説明してくれた。
現場はかなり懲りているみたいだ。

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2010-08-25 Wed.

耐性

2010-08-25

映画「グラン・トリノ」を鑑賞。

アメリカ人男性にとって、車というのは重要なステータスである、と特典映像で語られていた。
僕にはその感覚が全くないな、ということに思い当たる。

普通自動車免許を取って10年以上経過した。
しかし、自家用車を保有したことは1度もない。
交通機関の恩恵を受けまくっているので、生活において車を必要と感じたことはほどんどない。
爽快なドライブを渇望することがあるけれど、いったいどこに行けばいいのやら。
どこに行くにしても、自宅からドライブスポットに行くまでに、渋滞の道を2時間は抜けなければならない。
だったら、アクトビラで風景ビデオを見ていた方がいいかもしれない。

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2010-08-24 Tue.

老獪

2010-08-24

パチンコ屋にタレントがトークショーで来るというので、見に行った。
相変わらずのミーハーですみません。

ところで、若者はマナーがなっていない、という声がよく聴かれる。
しかし、実際のところは違うように思う。
トークショーは写真撮影禁止だったが、それでも携帯電話で写真を撮る人たちがいる。
彼らの年齢分布は、若い人に偏っているわけではなく、だいたい一様であった。

それにしても、彼らは撮った写真をいったい何に使うのだろう。
使い道の思いつかない写真。

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2010-08-23 Mon.

系統

2010-08-23

「ブラマヨとゆかいな仲間たち」(テレビ朝日)を視聴した。

見ていてわかったことは、「M-1グランプリ」とはある地域ではびこっているサーガを全国規模で見せつけられているに過ぎなかった、ということだ。
そのサーガを事前に把握しておかないと、「M-1グランプリ」の本質は理解できないのだろう。
あるいは、もはや理解するまで付き合わなくてもいいのかな、とも思う。

僕が、堤信子や橋本志穂、山崎銀之丞や今泉清保の動向を気にするのと同じだ。

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2010-08-22 Sun.

撤退

2010-08-22

「HMV渋谷店の思い出」というテーマで書こうとして、「特に何もないな」というところに落ち着いてしまう。

初めて上京したときにタワーレコードに行ったことは覚えているが、HMVに行った記憶はない。
東京に住み始めてからは、HMV渋谷店には情報収集や試聴でよく行っていた気がするが、CDを購入した記憶がない。
CDを買うのは、いつも大学生協だった(割引がきくから)。
今の渋谷店ができた時のことは覚えているが、その前の渋谷店がどんな店だったかすらもう忘れてしまった。

唯一覚えているのは、2004年。
ひどく疲弊したときにHMV渋谷店に立ち寄り、BONNIE PINKのシングル「Last Kiss」の存在に気づいた。
試聴し、「これを聴くことでしばらく生き延びることができるな」と思った。
BONNIE PINKを今後も聴き続けるか迷っていたころで、それどころか当時は忙しくて音楽を聴くという行為からも遠ざかっていたころでもあったので、本当に救われた気がした。
この時の勢いで、普段なら絶対に行かないライブに行くことになった。

CD店が閉店する、ということで懐古主義的な切り口をとるメディアが多く見られた。
何でも惜しめばいい、というものでもないと思う。
いかにも付け焼き刃の情報で、この程度なら報道番組で振り返らなくてもいいのに、とも思う。

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2010-08-21 Sat.

熱闘

2010-08-21

今年は例年と違い、高校野球に対してストレスを感じることはほとんどなかった。
なぜなら、デジタルテレビチューナー内蔵のレコーダーを手に入れたからだ。
「熱闘甲子園」の放送が休止になり以降の番組が繰り上げて放送される、というこのご時世全く許容できない暴力的な状況が発生しても、繰り上がった番組の予約が自動で変更され、録画してくれるからだ。

がしかし、今年は降雨中止がなく、「熱闘甲子園」の放送が休止になることはなかったので、購入したレコーダーの恩恵を受けることもなかった。

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2010-08-20 Fri.

蝋燭

2010-08-20

どうも気が沈んでいるらしい。
MLLの再生回数が増加することから、それがよくわかる。

どうせなら、キャンドルぐらい作れるようになっていればよかったな、と後悔する。

批評しやすい個性が1つでも現れると、他の実績には触れずそれだけを集中攻撃する人たちがいる。
お決まりのパターンしかとれないのは困ったことだけど、それが現実だ。
だから、気をつけなければならない。

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2010-08-19 Thu.

盛夏

2010-08-19

酒井若菜のブログによると、吹石一恵がカラオケで「セピアの夏のフォトグラフ」を歌った。
酒井若菜によると、「明らかに上手くなって」いた。

あれから練習していたのだろうか。
とにかく、これで僕の心残りが解消され、同時に僕は持ちネタをひとつ失うことになった。

それにしても、ドラマ「電撃婚」を僕が見られるようになることはあるのだろうか。
キャリアで囲い込むのは、オープンじゃない。
2001年の「ミュージックソン」に一緒に出演していたな…。

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2010-08-18 Wed.

制圧

2010-08-18

自宅の裏は広い空き地だ。
草が生い茂り、夏になると生えた草で、脇の道から3mほどの山のようになる。
冬にはそれが枯れ果て、夏と比べると3分の1ほどのボリュームになる。
近所の猫が枯れ果てた草むらに潜り込み、そのまま出てこないという光景をしばしば目撃した。
きっと、草むらの中は「猫村」になっていたのだろう。

その空き地にアパートが建つことになり、今は工事の真っ最中である。
草むらが拓かれ、土が露出する平坦な土地となってしまった。
ねぐらを失った猫たちは、いったいどこへ行ったのだろう。

ところで、草むらが拓かれ更地となった後、どういうことが起こるかご存じだろうか。
僕も今回初めてわかったのだが、更地になってから2、3日は鳥が数多くやってくる。
裏の空き地には、50羽くらいの鳥がやってきた。
鳥たちは、くちばしでそこかしこの地面をつついていた。
おそらく、無防備になったのに目を付け、何かを略奪し尽くそうとしていたのだろう。

焼け野原の戦後処理とは、こういうものなのだろうか。

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2010-08-17 Tue.

休暇

2010-08-17

どうしても、メディアは宇多田ヒカルのことを書かなければならないのだろう。

強いて言えば、読者が抱くステレオタイプにそった記事を書くのがライターの仕事なのだろう。
たとえ臆測記事で良心がとがめようとも、仕事なのだから仕方がない。

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2010-08-16 Mon.

遺恨

2010-08-16

「石原表」というものがある。
天気予報の当たり外れを整理したものではなく、ある人の瞬きの回数をカウントしたものでもない。

石原表」とは色覚検査で用いられるものである。

小中学生時代、僕は「石原表」に散々苦しめられた。
最初の2、3個を除けば、後はほとんど判読できなかった。
ある時に至っては、「わかりません」という答えを連発する僕に対し、小学校の教師が「ふざけているのか」と因縁を付けることすらあった(何のための検査なのだか)。
後で知ったのだが、判読できたと喜んでいたものも、「正常な」色覚の人には別の数字に見えていたらしい。

この検査に引っかかると、眼科でより精密な検査を受けることになる。
具体的には、小さな木片に塗られた色を近い順に並べ替える、という検査だ。
そして、医師に樹形図を書かれ、「子供には遺伝しないけれど、組み合わせ次第では孫には遺伝するかも知れませんね」と言われる。

僕が子供だった当時は、「色覚異常」だと工学系の分野に進学、就職できないという風潮があった。
理系科目を好む僕にとっては、絶望的な未来が待ち受けている気がした。
幸い、「色覚異常」に対する理解が進み、僕が進路を決めるころには「色覚異常」という診断だけで進路が絶たれるということはほとんどなくなった。

僕は今でも、弱度の「先天赤緑色覚異常」である、らしい。
子供のころよりもかなり改善されたと思うが、それでも若干の「異常」が残っている。
「色覚異常」だとどういう時に支障が出るか、というと、「アタック25」で赤と緑の接戦になった時、液晶画面で斜めから見ると、パッと見どちらが優勢なのか少々わかりづらくなり、判断が2、3秒遅れる。
普段の生活における支障と言えば、それくらいしかない。

むしろ、社会的な差別や無知に基づく悪質な偏見の存在の方がよっぽど支障になっている。
糾弾されればいい、と心底思う。

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2010-08-15 Sun.

易断

2010-08-15

ミニコミ誌に、「占い110番」という広告が掲載されていた。

占いで悪いことを言われた場合、あるいは複数の占い師に見てもらったがその内容が異なるのでどれを信じていいのかわからない場合に相談すると、この「占い110番」は歴史ある占い方法に基づき、正確な占い結果を提供する、のだそうだ。

僕はこういうメタな話が好物なので、「占い110番」には非常に好感が持てる。
こういうものの最高峰が…。

ところで、女性誌には、電話で行う占いに関する広告が多く掲載されているのだとか。
どうやって課金するのだろう、Q2かな。

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2010-08-14 Sat.

立談

2010-08-14

また、新たな現代病に罹患した。
それは、「漫才はどこで見られるのか」病。

漫才をライブで見たい、と思い立った。
しかし、次のアクションをどうすればいいのかわからない。
落語なら、たぶん寄席に行けばいいのだろう。
漫才も寄席や劇場でやっているだろうが、果たしてそこで漫才だけを見ることはできるのだろうか。

現代における解決方法。
DVDか動画サイト、せいぜいWiiの間ぐらいしか思いつかない。

ところで、漫才は、話者の技術があるからおもしろいのだ、と僕はずっと思ってきた。
最近、技術はあるのにおもしろくない、という漫才コンビに初めて出くわした。
つまり、「確かにうまいのに、つまらない」。
そういうのってこわいな、と思う。

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2010-08-13 Fri.

般若

2010-08-13

そろそろ、現実的なシミュレーションをしておいた方がいいのではなかろうか。
もし、タバコと同様に、アルコールが世間から忌避されるようになったら。

僕はたぶん、なくても生活できるとは思う。
依存症までにはなっていないから。

ただ、食事をますますとらなくなるだろう。
なぜなら、酒があるからこそつまみという食料を摂取できていたのだから。
地元の名産を購入する機会も、外食で使う金も、大幅に減ることだろう。

何より、人と会食することがなくなるだろう。
これまで、酒が飲めるからという理由があって、かろうじて人と飯が食えていたのだから。

喫煙者も同じことを主張しているのかも知れない。
「煙草が吸えなければ、会話なんてしたくない」と。

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2010-08-12 Thu.

追従

2010-08-12

大雑把なことを言うと、以下のような考えの人間がいるからデフレーションが進むのだろうか、と思うことがある。

世の中は、金のかからない世界へと進んでいる、と僕は信じている。
イノベーションが起こることにより、これまで高価だった製品を安く製造できるようになる。
また、仕組みが改善されることにより、効率の良いサービスを安価に提供できるようになる。
それらの恩恵を受けることによって、無駄が省かれ、コストをかけることなく快適なサービスを受けることができる、と。

金をかければいいものが手に入る、とはあまり思えない。
また、金をかけると、無駄な仕組みが増えていくし、資金に群がろうとするものどもも集まってくる。
そして、金をかけて手に入れたものは数年ですたれ、安価なものへと置き換わってしまう。

金を稼げばいい、あるいは予算を確保すればいい、という考えには僕はなじめない。
もっとも、時代の先端を生き抜かなければならなかったり、勝負を勝ち抜かなければならなかったりする場合は、少し話が違うだろうが。

技術が安定し、無駄が省かれ、こなれてきたものにこそ利用価値がある、ような気がする。
これでは、少なくとも我が家の経済の発展は望めないだろう。

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2010-08-11 Wed.

均整

2010-08-11

季節柄、というわけでもなく、映画「夕凪の街 桜の国」を見る。
「日曜邦画劇場」に麻生久美子がゲストで出ている回を、ようやく見ることができた。

この映画を見た感想としては不適切だろうが、僕はやはりロードムービーが好きだ、ということを改めて実感した。
「夕凪の街」あっての「桜の国」、そしてそれ以上に「桜の国」あっての「夕凪の街」。
両方がないと成立しない映画をバランス良くとれているところに、監督の多彩さを感じる。
そして、久しぶりに粟田麗を見た(出ているのに気づいた)。
恐ろしいほど、若い。
1990年代中頃の日本映画ブームを象徴するというか、もっと時代に恵まれていればというか、今後の安定感をむしろ期待すればいいというのか。

麻生久美子が作品を振り返っている中で、「桜の国」の方にほとんど触れていなかった。
他人の仕事には口を出さないという職業意識なのか、わざと黙殺しているのか、ただそんな風に見えただけなのか、僕には図りかねる。

誰にでも好かれようとするのは誤りだな、と麻生久美子を見るといつも思う。

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2010-08-10 Tue.

視診

2010-08-10

3年ぶりに、コンタクトレンズを購入した。

ショップに併設された眼科、いやショップが併設されている眼科で、1時間以上かけて検査してもらった。
ただ、医師による診察は、わずか2分だった。

眼科で目の検査を実施する人は、おそらく医師ではないと思う。
だとしたら、いったいどういう人なのだろう。
とにかく、全面的に信頼はしている。

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2010-08-09 Mon.

停止

2010-08-09

「エチカの鏡」で、兄弟構成によって性格や相性が決まる、というのを放送していた。

これを見ていて、これは何かの実験なのかな、と思った。
つまり、人はどれだけ信じやすいか、という宗教学者による実験。
仮に性格診断の結果を入れ替えて放送していたとしても、信じる人は信じるように思う。
この番組では、以前にも結果を入れ替えて放送してしまったことがあったし。

翌日。
「いいとも」のゲストに、前日の「エチカの鏡」にも出ていたケンドーコバヤシが出演していた。
番組内でタモリさんが「末っ子同士だから相性が悪いんだよ」と言って、ケンドーコバヤシにからんでいた。
こういう絡みを成立させるためだけにゲストに出てきたのだろうか、あるいは両方の番組で1セットなのか。

さて、真の裏血液型占いでもするか。

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2010-08-08 Sun.

審査

2010-08-08

テレビで、誰だか忘れたがある女性タレントが、「食事に誘ってくれた男が、考えられないクレジットカードをもっていたので幻滅した」と言っていた。
詳しくは言っていなかったが、その女性タレントによると、男が持っていたクレジットカードは有名ブランドのプロパーではなく、とにかくあり得ないクレジットカードであったらしい。

それ以来、「考えられないクレジットカード」とはいったいどういうものなのだろう、と気になって仕方がない。

ところで、こないだ飲み屋で精算するときに、クレジットカードを使おうとした。
店員が僕のカードで決済しようとしてもうまく行かず、「このカードは使えませんね」とにやけながら言ってきた。
そういう場合普段の僕なら現金で払うのだが、その時は少し考えた。
これまでこの店でこのクレジットカードをかなりの回数使用しているのにもかかわらず、「使えません」と断言するのはどうしたものか、と思ったからだ。
そこで、「磁気の方で試してください」とお願いした。
店員は接触型ICカードリーダで決済しようとしていたが、僕が使おうとしたクレジットカードには接触型ICがついていなかった。
磁気ストライプリーダで試したら、すんなり通り、「通りましたね」と言われた。

別の日。
コンビニエンスストアで会計するときに、クレジットカードを使おうとした。
店員が僕のカードで決済しようとしてもうまく行かず、「これはSuicaだから使えませんね」と言ってきた。
僕は、「この店で毎日使っているのに、使えないんですか」とつい言ってしまった。
店員がゆっくりとリーダに通して、決済できた。
店員が「すみませんでした」と言うと、店内の店員が一斉に「すみませんでした」と声をそろえた。
まるでU字工事や昭和のいる・こいるのような、気持ちのこもった対応だった。

そもそも、自分が使いこなせないことが原因であるはずだ。
それなのに、自分の理解がついていけないのをさしおいて、すぐに別の原因を求め、安易に断定する。
技術が複雑になっている一方で、そういう対応をされることがかなり多い。
だったら、はっきり「店では対応しているかも知れませんが、私にはできません」と言ってくれた方がいいのに。
そういってくれたら、こちらも好きこのんでJ-Debitなんて使わない。

僕がメインで使っているクレジットカードは、Suicaが搭載されていて、電器店のポイントカードとしても使える、JCBブランドの付いた、あれだ。
接触型ICがないどころか、エンボスすらない。
お店の人が「使えない」などと軽々しく言うのなら、後日カード会社に「そちらで発行しているカードは○○の店で使えないとはっきり言われました」と通報…、お知らせしたい気分がする。

その一方で、僕が持っているようなクレジットカードこそ、女性タレントが言っていた「考えられないクレジットカード」なのかなと思う。
カード会社に、「そちらで発行しているカードは、「考えられないクレジットカード」なのですか」と尋ねたい。

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2010-08-07 Sat.

置去

2010-08-07

先日実家におじゃました際、新しく買ったPCを使わせていただいた。
いつものように、ツールを入れたり、デバイスのドライバやファームウェアをアップデートしたりした。

新しいPCなのに動作がにぶい、と母親が訴える。
調査すると、どうも回線が遅いみたいだ。
12MのADSLで契約をしているが、モデムの情報では下りで700Kbps止まり。
モデムのファームウェアをアップデートしたが(最新のもので6年前のリリース)、それでも1Mbpsまでしか改善しなかった。

電話局までの距離や、モデムの接続、PCが及ぼすモデムへの影響など、いくつか原因を思いついたが、どの原因を取り除いても劇的な改善にはつながらないだろう。
どうせなら、同一の料金で提供されている50MのADSLに回線を変更した方がいい。

しかし、回線の変更には至らなかった。
親だけではとても設定できないだろう、だったら現状を保った方がいい、と判断したからだ(だいたい、今の契約がどうなっているかを親は把握しておらず、調べるのに一苦労した)。
プロバイダのサポートを利用することも考えたが、料金がやや高い。
また、無線LANルータを含めた現状の使い勝手を変えないように設定してもらえるとも思えない。

ところで以前から、「社会が悪い方向に向かっているのは、若い奴らが子供のころに受けた教育が適切ではなかったからだ。だから、子供のころから正しいことを教え込んでおかなければならない。教育を変革しなければ」みたいな議論がある。
その説には一理あるのかもしれないけれど、その一方で、僕は他にも重要だと思うことがある。
それは成年教育、もっと言えば高齢者教育だ。

社会は変容を続け、進化した技術や考え方が次々に導入されている。
それらは、これまでの不便を解消するものであったり、より充実した生活を実現するものであったりする。
サービスを提供する側にとっても、新しいものに対応できる消費者が増えれば、提供するための労力が省力化でき、より高度なサービスを安価で提供できるようになる。

それらの恩恵を高齢者が享受できるようになるためには、新しいものに慣れ親しんでいただく必要がある。
確かに、長い時間を昔のシステムに付き合わされてきたのだから、新しいものに抵抗を感じる方も多いだろう。
かといって、「昔からの慣れ親しんだやり方がよい」と主張する高齢者を社会はそのままにしておくわけにはいかないはずだ。
便利な技術は確実に社会に普及し、やがてはだれもがその新しいものを利用するようになる。
直接利用しなくとも、間接的に関わっていたり、あるいは強制的に利用を迫られたりすることもある。
そうなった際、提供されている方法に慣れ親しんでいない方々が、トラブルや犯罪に巻き込まれる可能性が生じる。

金融機関のATMが、その好例である。
現代では、ほぼ全ての人がATMを利用しなければならないような状況になっている。
その一方で、ATMをめぐるトラブルが発生し、問題視されている。
思うに、利用者のATMに対する理解が進んでいないからだろう。
そうなる前に、ATMに対応してもらえるためのサポートを社会が準備することが必要だったはずだ。

高齢者こそ教育を。
そして、高齢者にこそPCを使いこなせるようになって欲しい。
でも、昔に比べればかなり改善されたとはいえ、まだまだPCは扱いづらいのは確かか。

僕もその「新技術についていけない」予備軍である。
「ポケットベル世代」という実に中途半端な世代に属している僕は、すでに携帯電話の機能すら理解できないでいる。
DVDメディアの種類や「ダビング10」だって、全く理解できていない。

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2010-08-06 Fri.

籠愛

2010-08-06

行き詰まったら新展開を求めてジャズ・ソングを、みたいな流れが続くのは、できればやめて欲しい。

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2010-08-05 Thu.

横暴

2010-08-05

自宅のノートPCの発熱が激しい。

ハードディスクの残り容量は、200MB。
iTunes Mediaフォルダだけで33GBを占めている(これでも、別のディスクに6GBほど退避している)のに加え、Windowsフォルダが10GBもあるのが原因なのだろう。
OSで10GBも占めるという事実に、節操のなさすら感じる。

春頃から、時々PC売り場をウロウロしている。
予算もないし、64ビットPCに手を出すのも時期尚早っぽいので、ここは我慢。

店員が「お持ちのパソコンは、何年お使いですか?」と尋ねてくる。
「4年です」と答えると、「お客様のように、パソコンを長期間大切にお使いになるような方には、ハイスペックの機種への買い換えをお奨めしています」とプレゼンテーション。

PCの寿命は、いったいどのくらいと考えられているのだろう。
エアコンが4年しか持たなかったら、誰しも怒り狂うと思うのだが。

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2010-08-04 Wed.

遊戯

2010-08-04

楽しそうにやっているけれど、実際のところかなりの税金が投入されているのだ。
それとも、政府で飼われているパフォーマーとして考えればいいのだろうか。

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2010-08-03 Tue.

故障

2010-08-03

しばらくの間、高齢者にpingが打たれまくることだろう。
今日のテレビ欄は、「113」の文字列がやけに多い。

「老人消失」をテーマにしたSFの類が出てきそうだ。

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2010-08-02 Mon.

見逃

2010-08-02

日曜。
飲み過ぎたせいで寝てしまい、TBSのドラマを見逃す。

でも、2010年においては焦る必要が全くない。
それは、TBSオンデマンドで有料視聴できるから?
いや、最終回が本放送される前に、地上波で再放送するから。

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2010-08-01 Sun.

黙殺

2010-08-01

テレビ番組の内容に対して、テレビ局に苦情を伝える人がいるらしい。
わざわざご苦労様です。

僕は、見知らぬ苦情の主に対して、いつもこう思ってきた。

じゃあ、見なきゃいいじゃん。

見なければ、番組を見ることによって生じる嫌な気持ちを持たずに済む。
そして、テレビの歴史を振り返ればわかるように、誰も見ない番組は、自然に終わっていくのだ。

でも、「見なければいい」という考えは本当に適切なのだろうか。

あるブログを読んでいたら、記事の中で読者からのメールを公開していた。
「不適切な表現で、不愉快になった」というおしかりのメールだ。
ブログの著者は、「だったら、見なきゃいいのに」と書いてあった。

こんな言葉、僕には恐ろしくて絶対に言えない。
誰にも読まれず、せいぜいBaiduからのアクセスしかないウェブサイト(つまり、このサイト)を何年も運営してきて、読まれないウェブサイトの悲哀というもの切実に感じ続けているからだ。

「見なければいい」と言えるのは、受け手側に許されている権利である。
提供している側が言ってしまうと、行き詰まったときに取り返しのつかない状況が待ちかまえている。

僕も2度と見ない番組、2度と見ないサイト、2度と行かない店、2度と話さない人のリストを多く抱えている。
それは、受け手側の特権だから。

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