有楽
田中麗奈、40代で再ブレイクの兆し。
そんな記事が出てくる2024年早春。
「平野レミの早わざレシピ」に田中麗奈さんが出演していた。
TVバラエティの出演に慣れている俳優でも振る舞いが難しい番組に、実に見事に順応している、という印象だった。
いつもは、番組が崩壊していくさまを概観する見方をしていて、今回は田中麗奈さんを中心に見て、もう何を見ているのかわからなくなってきた。
そういうわけで、「ブギウギ」も見ていっている。
これは完全に自分が悪いのだが、朝ドラ、特にBKの朝ドラは、自分からの距離が遠い。
出てきて、対立したかと思いきや、すぐに和解した。
その様子についていけず、台詞にも距離を感じ、設定すら遠いものに感じる。
評判のいいドラマなのだから、もう一度言うけど、これは完全に自分が悪い。
単純に、見なければいいのだ。
自分が生きていくことすら不安に思わせる、内容と評判である。
で、冒頭のタイトルの記事である。
記事の中身を読むと、タイトルの感じはしない。
1998年にCMでブレイク、初主演映画で新人賞総なめ。
それから25年たち、ブレイク当時とは違う印象、2023年のドラマで好演、「なっちゃん」の親しみやすさと、大人になってからのミステリアスな雰囲気があってこそ演じられた。
そして、それと対照的な役柄を演じる「ブギウギ」。
「中抜けの25年」を、この書き手はどう見てきたのだろう、と思うと、末尾に署名があった。
名前で検索すると、このライターは1995年生まれ。
きっと、「なっちゃん」の時のことを直接認識できてはいないだろう。
僕のような者が、ブレイクの様を見ていないようなタレント、例えばせんだみつおとか湯原昌幸、大原かおりについて、仮に今TVに出まくるようになったとして、「再ブレイク」と表現をつかうことは、およそできないだろう。
せんだみつおゲーム以来、せんだみつおの動向を聞くのは、通いで大阪の番組に行くために新幹線に乗っていることくらいだ。
湯原昌幸の冠番組が今始まったとして、それを「再ブレイク」などと呼ぼうものなら、「ずっと「カラオケ大賞」の司会やっていたの知らないのか?」とののしられ、書き手の資質を問われ、強制退場させられそうだ。
大原かおりは大原がおりで、嘉門洋子がどうしたとか、付け焼き刃にもほどがある。
プロのライターは、直接知らないことでも、ちゃんと調べて書く。
そして、再ブレイクの「兆し」を敏感に察知し、それを親切に教えてくれる。
あるいは、ライターではなく、表面に現れない性格の悪い奴が、タイトルだけ適当につけたのかもしれない。
「あさイチ」で「今まで演じなかったような役で」みたいな振られ方をして、「そんな風には思わないんですけど」と軽くかわしていた。
僕もそちら側の感覚で、表舞台に立ち続ける俳優の、特に違和感のない一つの役という印象でしかない。
そして、ただただその美しさに体が強張り、宣伝でメディアに登場する頻度が高まっていることに感謝するとともに、お体の心配をする。
料理の手際の良さと、平野レミに対する戸惑う可愛さに、安心とともに悶絶した。
気になったのは、自宅に梅とレモンの木がある、という発言だ。
「自宅に木が植えられている」という概念を、僕はずいぶんと長い間忘れていて、それだけで現実に戻され、隔絶を思いしさらされた。
貧乏性なのではなく貧乏で吝嗇、ミニマリストではなく甲斐性なし。
以前、田中麗奈は「映画宣伝女優」と書いた。
それを行き過ぎた書き方のようでなんとなく気に病んでいたのだが、今回改めて「この表現は自分の思いを表現できている」と思った。
「出演する」というだけで作品が話題になり、番宣の出演は数少ないにもかかわらず、魅力的で華やかである。
人間の機微がわからず、情緒が著しく欠けている僕には、ドラマや演技の内容がよくわからないのだろうが、それでも田中麗奈さんが出ることで見てしまい、魅了されるのであれば、田中麗奈さんは次元の異なる圧倒的スターであり、真の「映画宣伝俳優」、そしてそれがつまり「映画俳優」なのだ。