曇天の続き

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2006-09-06 Wed.

大型トーク番組の終焉

2006-09-06

大阪の番組の特徴を挙げろ、と言われたら、僕はこう答えていた。
「タレントをずらりとそろえて、トーク中心に番組を作る傾向にある」
セットを組んで、その前にタレントを座らせて、MCがいて、お題が出るという図式だ。

しかし、最近、その図式を用いる東京の番組が多くなった。
例えば、「さんま御殿」「アメトーク」「行列」「ロンハー」etc..

先週末に「アメトーク」の特番をやっていた。
その内容は、実にまとまりのないものだった。
各人がそれぞれネタ見せに終始しており、ネタの多さに、食傷気味。
1つの話が発展的に組み上がっていく醍醐味が見られなかった。
おそらく長時間の収録を時間内に収めるための編集にも原因があるんだろうけど。

その夜、関東では「じかおぎ」という番組をやっていた。
内容は、次長課長とおぎやはぎがトーク番組を仕切って、どっちが優れているかを競うというもの。
それに、トークゲストがMCのしきりを見て感想を書き、その感想を番組中にMCの後ろにあるモニタに表示するという企画も加わっていた。

結局、その番組は現在のトーク番組の裏側を見せるものになってしまった。
すなわち、最近話題の「ひな壇芸人」が何を考えて番組に臨んでいるか、が番組上に晒されていた。

この2番組の放送を見終えて、僕は「トーク番組は行き着くところまで行き着いた」と感じた。
つまり、トーク番組は、最終的な局面、つまり「番組のネタ晴らし」にまで達してしまった。

出演者が視聴者にトークの内容ではなく、トークの技巧を視聴者に見せつけるようなやり方では、視聴者は置きざりにされ、すぐにでも飽きてしまう、と。
しかも、トーク番組でやられている手法には、ダチョウ倶楽部のリアクション芸のようなほほえましさもない。
他の出演者をこきおろし、MCに自分を売り込むことと編集でカットされないことが主として考えられている。
悪意すら感じ取れた。

トーク番組の常連が主体となって、他者を排他的に扱いながら番組を作っていくのなら、テクニックばかりが目立つ一方で肝心の話が目立たなくなり、結局つまらない内輪ネタの番組に成り下がるのだろう。
腕を磨くのはいいけど、最終的には視聴者が判断することを忘れないで番組を作っていって欲しい。

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