曇天の続き

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2010-06-19 Sat.

精錬

2010-06-19

書いた文章を世界に向けて自由に公開できる、という事態がこの国にもたらされて、もう10年以上が経過した。
今は、電子書籍の話題で世間は持ちきりだが、少なくとも文筆を職業としていない作家、つまり対価は要らないから好き勝手に書いたものを公表したいだけ、という書き手にとっては、「電子書籍化」はずいぶん前から実現していることになる。
それなのに、この大騒ぎになっている理由は、今後は報酬が発生する文章に対しても電子媒体によって提供されることになるからだ、と僕は認識している。

これまでは、書籍が出るまでに文章が洗練、淘汰されるシステムがあった。
編集者によるチェック、出版社による出版のゴーサインなどが、その仕組みの一翼を担っていた。
書店で「なぜこんな本が出版されているのか」と疑問に思うことがあるが、そんな本であっても、厳しいセレクションをくぐり抜けてきたほんのわずかのエリートであることは間違いない。

もし、本当に出版社が中抜きされるような事態が生じた場合、その淘汰の役目は誰が担うのだろう。
どのような文章でも、とりあえず公開、課金することが可能になるのだろうか。
これは、文章の書き手にとっては、内容の責任をひとりで抱え込むことになってしまい、非常に負担になると思う。
また、読み手にとっても、有用な文章を探したり読んだりするのに手間がかかり、これまたかなりの負担になる。

今後、権威付けするような機関が幅をきかせてくるかもしれない。

もっと言うと、一般人向けの文章プロデュース業みたいなのが盛んになるのではないか。
自分で書いたものをそのまま公表するのはものすごく怖いので、内容を吟味したり、自分の文章を整えたりしてもらう人が求められる。
いわば、カジュアルな形のゴーストライター。
もっといいたとえがあるのだが、ここで使うのは怖い結果を招きそうなので、やめておく。

そういう存在がいたからこそ、岡田監督の娘も安心して全面広告に手紙を掲載することができるのだろう、たぶん。

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