口線
※この話は痛い話です。
苦手な人は、読まない方がいいかもしれませんが、僕の文章力は乏しいので、案外大丈夫かも知れません。
「鶴瓶上岡パペポTV」。
福岡でもかろうじて放送していた。
僕が言うまでもなく、とんでもない番組だった。
この番組で印象に残っている話の1つに、次の話がある。
たぶん鶴瓶さんだったと思うが、口の上唇の裏にある、上唇と歯茎をつなぐ膜状の線は何のためにあるのか、この線を切ったらどれだけ痛いか、ということに言及していた。
そして話は、同じような線が口以外の箇所にもあるけどそっちが切れたら…、と波及していくのだが、想像するだけで痛くなるので、そちらの方は伏せておく。
この「口の線」の話を覚えているのには、理由がある。
僕の口には、この「口の線」がないのだ。
厳密に言うと、「口の線」は昔あったけど、切れてしまって、すごく短くなってしまった。
1988年5月13日。
小学生だった僕は、小学校対抗で行われるミニバスケットボールの大会に向けて、1時間目の授業が始まる前に早朝から練習をしなければならなかった。
この「練習をしなければならなかった」というのがキーポイントである。
戦争と教育のためなら、個人の尊厳なぞ蹂躙されて当然である。
その練習に参加するために、毎朝苦しい思いをして起床し、急いで登校していた。
遅刻すると、罰則が待っていたからである。
そんなある日、いつものようにあわてて学校を目指していると、歩道橋の階段で転んでしまった。
そして、階段を頭から転げ落ち、道路に顔をしこたまぶつけた。
そのとき、上唇を「ズドー」といったのだと思う。
とにかく激痛が走ったのを記憶している。
それでも、時間通りに登校しなければ銃殺刑なので、痛みに耐えながら学校へ向かった。
そして、バスケットボールの練習をみっちりやった。
ただ、練習が終わっても痛みが引かなかった。
なので、一応保健室に行くことにした。
そのとき、一緒に付き添ってくれた友人の名前を僕は一生忘れないと思う。
それを無視した担任の名前も一生忘れないだろう。
保健室のフクズミ先生は極めて優しく接してくれた。
でも、結局「なすすべなし」という結論に達した。
僕も、自分のフィジカルバランスの悪さが原因で転倒したのだと認識していたので、納得して保健室を去った。
それからしばらくの日数は口の痛みが続いたが、いつの間にか痛みは治まった。
で、ある時「そういえば、「口の線」がなくなっているな」と気付いたのだった。
結論。
「線」を切ることは、拷問には十分適している。
ただ、口の線を喪失しても、その後の生活には支障がないようだ。
もしかしたら、高須クリニックで再生できるかもしれない。
でも、もう一方の線の方は、喪失すると支障がある気がする。