量産
人は簡単に「一発屋」と言う。
彼らには実力がないのだろうか。
月並みに言えば、おもしろくないのだろうか。
個人的な感覚だと、「一発屋」と呼ばれる芸人の中でも、ネタがブレイクしていた時に「おもしろい」と感じた場合もあったし、逆にネタがブレイクしていた時であっても「これのどこがおもしろいのだろう」と疑問に思った場合もあった。
そして、ブレイク当時からおもしろいと思っていた人たちは、当然好きなものであるため、今でもおもしろく思えるし実力を感じる。
「新橋ミュージックホール」にダンディ坂野が出てきたとき、僕は不思議な雰囲気を持つ人がいるという感想を持った。
数年経って彼はブレイクしたが、雰囲気はあの頃とほとんど変わらないし、世間に受けていたことの方がむしろ不思議に感じた。
ヒロシ、小島よしお、そしてスギちゃんと、「一発屋」と呼ばれる人たちが出てきているが、ネタがもてはやされている時点で十分におもしろいと思えた。
たぶん、今DVDを見直しても、おもしろいと思える自信がある。
適切な場面でネタを披露すれば、僕は今も純粋に笑う。
つぶやきシローは、ネタがおもしろいとは感じなかった。
ただ、つぶやきさんの性格には当初から興味を持つことができた。
狩野英孝も同じカテゴリー、つまり「ネタはともかく性格が興味深い」というのに入る。
コウメ太夫も、爆発力のある芸と、それとは対照的な自信のなさから、このカテゴリーに入る。
それ以外の「一発屋」と呼ばれる人たちのほとんどは、フレーズは耳に残るが、ネタ自体はおもしろさを感じない、というケースが多い。
言葉は悪いが「こんなその辺に転がっているようなことで、こちらの笑いを強要するつもりか」と思っていた。
しかし世間は、盛り上がる。
そして世間は急速にさめていき、それまで笑っていたものを「一発屋」と言いのけるようになる。
僕には、世間が当時の自分たちの盛り上がりをなかったことにしようとしている、ように見える。
「一発屋」の大半が、人工的に作られたものである。
人気ネタ番組で繰り返し放送されていただけか、あるいは身内の芸人の結婚披露宴で披露された若手の一発芸がTVの前で行われていただけだ。
僕が最初から「おもしろい」と思えなかった「一発屋」の大半が、「エンタの神様」で量産された人たち、あるいは吉本興業から供給された人たちである。
ネタの聞き心地はいいのだが、真剣に聞こうとすると、大したことは言っていない。
おもしろいのは彼らがタレントの仲間だからであって、視聴者にはよくわからない。
繰り返し見せられるから、視聴者もついていくようになる。
当然ながら、長くは続かない。
若手にチャンスを与えるのはいいことだと思う。
僕が問題だと思うのは、チャンスの与え方が均等ではない、ということだ。
だから、TVに出るための競争に歪みが生じ、芸が次から次に消費され、そして消えていく。
残るのは、消費を楽しんだタレントだけで、消えていった人たちは残ったタレントの飲み会の相手としての要員になる。
それでも、それでも一発当てるだけでも、ものすごいことである。
世の中には、一発も当てないで終えるタレントが大半であるからだ。
もちろん、西本はるかですら、である。