介入
2012-07-30
久しぶりにスポーツ中継を見て知ったことは、中継の解説者に公平性や中立性などは全く求められていない、ということだ。
自国の選手に不利な状況があっても、気づかれていなければ、解説者はそれを無視する。
例えば、審判が誤った判定をした時、自国の選手に有利であれば、たとえ判定が誤っていると気づいていても、解説者はそのことを言わない。
後で、誤った判定が覆ったときに、解説者はそのことを指摘する。
F1中継では、このようなことはほとんど起こらない。
解説者は、自国の選手に偏った見方をしない。
解説者にプライドがあるからだろうし、また、解説者自身が外国からの目に常にさらされているから、事実や実態をねじ曲げた無様なことは言えないのだろう。
僕は、解説者にスポーツの解説を求めている。
解説者の気持ちの解説を求めているわけではない。
そう思っていたら、あるスポーツ中継では、解説者が「解説と応援の両方をがんばります」とはっきり公言していた。
僕が勝手に幻想を抱いていた。
盛り上がることは、お茶の間の方に全面的に任せて欲しい。
だから、おとなしくネット生中継を見る。
それにしても、あんなことが許されるものなのだろうか。
今回は全くなかったのだろうが、観客の空気を読んで一度下した判断を覆す、ということが起こりうると疑われてしまうではないか。
未経験者の僕にはよくわからない感覚なので、もう見ないだろう。