曇天の続き

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2024-07-13 Sat.

麺動

2024-07-13

できるだけ映画館に行くようにしている。

そのような習慣を田中麗奈さんが実践しているのを聴き、僕もそれに倣うことにした。
この広い東京でも、映画館でなら田中麗奈さんに出くわすこともあるかもしれない。

そう考えて、2か月ほど過ごしてきた。
時間をつくることはできるのだが、金がない。
この広い東京で、僕は田中麗奈とは違う階層に暮らしていることを思い知らされる。
同じビルで同じタイミングで食事していたとしても、向こうは52階のレストランで、僕は地下1階のラーメン屋である。

それでも、連日昼飯を抜き、のどの渇きを水道水で潤し、金をつくった。
映画を見ることにする。

見たい映画は特になくて、「違国日記」でもと考えたが、時間が合わない。
いろいろと見て、「アカデミー賞にノミネートされた」というふれこみだけで、観る映画を決めた。
現代人っぽく、ウェブサイトでチケットを購入。
このサイトで便利なのは、決済に必要な情報を登録することなく、PayPayアプリで支払いを終えられることだ。
クレジットカード番号なんて野蛮なものは怖くて使えない時代が、もうすぐ訪れるのだろう。

電車で移動し、池袋。
今回は東口に出る。
「32番出口」と案内されているのだが、見渡しても32番出口を示す案内が見当たらない。
思い出すに、池袋で道に迷わなかったことがない。
電車を降りてから、地上に出るまでに、分厚いゼリー状の空間があるように感じて、息苦しい。
地上に出てはみたが、道が複雑で方向感覚を失う。
渋谷も新宿も同じような複雑さであるはずなのに、池袋が特に難しく感じるのは、場慣れしていないせいなのだろう。
そういう「池袋に慣れていない人生」を、僕はいとおしく思う。

昼が立ち食いのカレーだけだったためか、腹がへる。
そういえば、田中麗奈さんは「時間があれば、カフェに入り、タスク整理などをする」と言っていた。
僕にはそれができない。
金がないためである。
そこで、コンビニエンスストアに入り、ソリューションを求め、うにおかきの袋を手に取る。
コンタクトレス決済で支払い、店を出て、袋を開けて、おかきを口に放り込む。
思い描いていた未来と、全然違う。
もっとも、何も思い描けていなかったけど。

映画館の前に到着。
できてから年月が経っていない映画館だと思うが、いつできたのかも知らないし、以前何があったかもわからない。
それが僕の「池袋感」である。
しばらく時間があったので、跨道橋の上に立ち、残りのおかきを食べる。
前に見えるのが、池袋イーストゲートパークだろうか。
食べ終えたおかきの袋が邪魔で仕方ない。
鞄にしまうと、中におかきのかすが散らかりそうで。

今回は、スマートフォンでQRコードを表示させ、端末にかざして入場する。
同じ階のトイレはゲートの外だそうで、1度出て、トイレに行き、QRコードをかざして再入場。
このスクリーンはサイズが小さくて、座席数も76である。
入ると、すでに福本莉子が何か喋っていた。
別のスクリーンだと、3面のスクリーンがあるらしく、そちらでは「キングダム」がかかっている。
僕には「キングダム」を見果たす自信がない。
最近、宮脇俊三「古代史紀行」を読んでいて、鉄道を乗りつくした果てに、歴史の出来事順に遺跡・史跡をめぐる、という新たな律義さを見出していることに、半ば呆れつつ読んでいる。
それはともかく、丁未の乱とか壬申の乱とかで、ドラマを作らないものだろうか。
高校は(選択する自由も与えらえず)世界史選択だったし、「火の鳥」や石ノ森章太郎の「マンガ日本の歴史」ぐらいでしか自国の歴史の知識を得ておらず、情けない。
古代史は、ドラマになるような出来事があまりないのかもしれない。
でも、「三国志マニア」もいいけど、「古事記マニア」みたいな子どもがいてもいいじゃないかと思う。
それにしても、「映画宣伝文学」みたいな宣伝が今も続いていることが、受け入れられないどころか怒りすら覚える。

今回観た映画は、「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」。
事前知識をほとんど持っていなかったので、最初は「昔の映画の再上映か」と思わされ、製作者の思うつぼだった。
また、どちらを見るか迷っていた「SCRAPPER」を選んだものとこれまた勘違いしていて、「違う映画を選んでしまった」と思ってしまった。

僕は、「登場人物の境遇が変化する」話が好きで、その点で言うと、「ホールドオーバーズ」はとてもいい映画と感じた。
偽ってまでして得た居場所を、信念と必要に応じて手放すところなど、称賛したい。

一方で、主人公が教師という職を長年務めたことには、賛同できなかった。
彼は、長い時間において、果たして仕事をしてきたのだろうか。
母校で歴史を教えてきたことは認めるが、生徒に歴史を学ばせ、成長させて送り出すという「仕事」をしてきたと言えるのか。
そう考えると、授業を受けた数多くの生徒たちにとっては、大きな「災厄」であったと見る。
僕は、教職に厳しすぎるのかもしれない。

居場所もないし、理解もされないし、それ以前に理解もできない。
自分のことを好きではないし、何が好きなのかもわからない。
心得ているから必死に自分を抑えているつもりだけれど、みっともない部分が漏れ出てしまい、迷惑をかけ不快にさせる。
手放していいことばかりだけど、それだと生活ができないから、縋り付いている。
一見仕事をしている風だから、周りは文句を言わないが、厄介ではあるに違いない。
欠けても全く問題ないし、でも欠けたら周囲が眉を顰めることになる。
いっそのことすべて手放し、身を消したい。

そんなことを考えながら、五差路へ続く道を進む。
気分が不安定である理由は、自分がJRA職員ではなかったから、ではない。

訪問回数が少ないため、池袋の思い出があまりないのだが、この道を通るときだけはいろいろと思い出す。
このビルにアルバイトの面接に行ったけど、それまでに過ごしてきた時間が面接相手と違いすぎて、打ちのめされて帰った。
30人くらいのクラスの飲み会があって、飲み放題で人数分のレモンサワーを何度も注文して、もちろんみんなで全部飲み干して、その店はほどなくして閉店した。
普段話すこともないのに、ただ「ラーメン屋を開拓する」という志だけで集結したメンバーで、池袋のラーメン屋をいくつか廻った。
その時に「光麺」を教えてもらって、初めて行ったように記憶する。
まだ電車もあったのに、飲み会終わりでタクシーに同乗した。
途中で1人ずつ降りて行き、最後まで乗っていた僕が金を払うことに、降りる段に至って気付いた。

自発的には訪れない、人に誘われることで出向いていたのが、僕にとっての池袋という街である。

一時の平穏を感じつつ、周囲の輝きに気後れし、展望を一切感じられない時代だった。
よく生き残ったものだと思うが、僕のしたことと言えば、ひどい結果しかもたらしていない。
これからの未来が想像できるから、嫌になる。

レストランに入り、半額設定のビールと、にんにくのオイル焼きを頼む。
店は空いていて、食べているときは何も考えない。
一通り飲み食いして、時計を見ると、まだ21時30分である。
「まだ」とは言うが、これから帰ることを考えると、「もう」21時30分であるし、最近のこの時刻は就寝時刻である。
カフェにも行けないし、夜には楽しいことが一切ないし、帰るだけ。
ここから池袋駅の改札までたどり着き、巧みな乗り換えをこなせるほどの理性を求められ、本当に嫌になる。

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