分割
少し前に、「モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて」に出かけてきた。
場所は、新宿のSOMPO美術館。
この美術館に行くのは、これが初めて。
行ってみてわかったのだが、いわゆる有名な「コンポジション」よりも、ピエト・モンドリアンがそこに至るまでにたどった抽象化の過程に興味を持った。
風景の抽象化を試みている時代などは良く、特に好きなのは「日没後の海」。
所蔵されているハーグ市立美術館にはいつかは行ってみたいのだが、感染症はあるし、円は安いし、本当に実現するのだろうか。
この絵もそうだが、僕は色彩の入り交ざった絵画が好きである。
最も好きな画家の1人はジョルジュ・スーラで、彼の淡い色使いの明るい点描画に惹かれる。
ところで、僕の目には軽い色覚異常が認められる、と以前から診断を受けている。
石原表は壊滅的にダメで、「色覚異常の人にはこう見える」という風な見え方をしてしまう。
それでいて、その当時の小学校の教師はこの結果を見て「お前、ふざけるのをやめろ」と怒鳴るのだから、今でも告発したいし、退職金を返納してほしいと思う。
ただ、パネルD-15テストは、調子が良ければ全問正解だし、悪くても2、3個入れ替わる程度。
日常生活では、赤と緑の区別がつけにくくて時々Excelの塗りつぶしを間違えるし、「アタック25」の赤と緑のパネルも、瞬時だと区別がつかない。
それ以外に困ったことはあまりないのだが、きっと他の人には見えていない見え方をしているのだと思う。
色覚異常よりも、近視や乱視のほうがよほど深刻である。
それで、あの石原表を見かけると、今もよくない思いがよみがえる。
その一方で、昔からそうなのだが、石原表のような敷き詰められた点の集合になぜか心が躍るというか、少し気持ちが上がる感じがする。
それは、点描画を見ていても起こるものと同じだ。
実は小学生の頃はスーラの絵のことをよく知らずに、水彩絵の具にもかかわらず風景画を点描でかいていた。
通常なら使わない色を、例えば木の着色に茶色の中に青やピンクの点を混ぜたりしていたのだ。
そんな風に見えていたわけではないが、そうしたほうがそれっぽい、と感じる。
僕はこの描き方が好きだったのだが、これもある教師には評判が悪く、ある時別の凡庸なやり方を強要されてしまい、それ以来やめてしまった。
僕の絵の才能はその程度のことでふいになるようなものなので、別に惜しくもない。
ただ、点描画に特別な感覚を得るのは、もしかしたら「色覚異常」と診断されていることに関係があるのではないか、と少し思う。