供米
2017-08-18
雨が降り続く夏である。
周囲からは、「1993年の米騒動」の話題が出ている。
高校時代の夏は、1年目が冷夏、2年目が水不足、3年目が不安、という印象に尽きる。
落ち着きのない3年間だった。
1993年の夏は雨が続き、気温も上がらず、米が不作だった。
国産米が手に入りにくくなり、タイ米を輸入したものの、国民はうるち米とは違う味に慣れず、さほど消費されなかった。
僕の記憶だと、心ある人たちが消費されないタイ米を東南アジアの国に無償で送った、というニュースが流れていた。
心ある人たちは満足そうだった。
家では、うるち米を確保していたように記憶する。
確か、長年の付き合いのある米屋から、なじみのよしみということで、優先的に売ってもらっていたのだと思う。
その時は「人とのつながりはやっぱり大事だな」と思っていたが、今の僕は、もっとよいやり方があったはずだと考えている。
城南電機の宮地社長が独自に米を売ることで世に出てきたように、米の流通経路において不要な制約があったのだ。
市場原理に任せて流通を維持するのが望ましかったが、(たった20年前のことだが)あの頃は市場が成熟していなかったのだ。