情景
2012-02-24
「わたしが子どもだったころ」の再放送に写真家の藤原新也が出ていた。
番組によると、彼の実家は門司港で旅館を営んでいた。
港から対岸を眺めながら、彼は「向こう側には何があるのだろう」と考えていた。
この「対岸に思いをはせる感覚」というのは、僕にも覚えがある。
関門海峡に面して住んでいる者が抱く特有のメンタリティであろう。
東京や大阪のような都会は遠い。
その都会と地続きになっている本州は、自分の目の前に見えている。
あの岸の向こう側には、一体どのような世界が広がっているのだろう。
いずれは、向こう側の世界をこの目で見てみたい。
小倉に住んでいた頃、九州から本州の方へ関門海峡を渡る機会というものは、めったになかった。
目の前に見える本州が、こちらとは全く違う世界であるかのように思えた。
自分の後ろ側には、福岡という経験したことのある大きな都会が控えている。
福岡に引け目を感じながら育ち、そして、海峡の向こう側にあるはずの、福岡よりももっと大きな都会のことを想像しながら、狭い土地で小さな生活を営み続ける。
もっとも、藤原新也氏が番組内で言ったように、「行ってみれば、向こう側もこっちと大して変わらないんだけどね」というのも確かだ。
行われていることは、どこもそれほど変わらない。
違っていたものもある。
それこそが、当時抱いていた、関門海峡を見て生きている人が持ち得る感覚だった。
結局、そういうことなのだ。