電鬼
休みに日帰りの遠出することを考える際、最近は、東海道線を選ぶことが多い。
まず、行先の候補から真っ先に落ちるのは、高崎線である。
親しみが薄いし、埼玉県が長いし、名物もよく知らない。
総武線も、成田では物足りず、銚子には行きたいが特急に乗る必要があるし、ちょっと遠い。
外房は戻ってこられるか不安だし、内房はより一層の不安を覚える。
最近だと中央線という選択肢も出てきたのだが、もう少し研究が必要である。
宇都宮線は魅力的であり、数回に1回の頻度で選ぶ。
私鉄の選択肢だと、秩父は山の中だし、東武はもうおなかいっぱい。
京急か小田急なら、選択肢に上がってはくる。
でも、最近普通グリーン車に安く乗れる手段が選べるようになったため、横須賀線や東海道線にしがちである。
やはり、山よりも海が好きだ。
浜辺で景色を見て、うまい魚料理を食べたい。
海だけでなく、山が見えるのも落ち着く。
小高いところから風景を見るのも、街と海が見えるとなおよい。
それなりの都市がよく、土地の暮らしや古くからの店の様子を感じたい。
なお、常磐線を選ぶことなど、最初から選択肢にない。
これまで、沼津や熱海、下田に行った。
三島はちょっと寄っただけだが、いずれ訪れたい場所ではある。
横須賀線は、鎌倉、横須賀に足を延ばした。
そんな中、最近よく足を運ぶのは、小田原である。
普通列車に乗って1時間半程度と、ちょうどいい乗車時間である。
歴史があって、史跡をめぐるのもいい。
歩くと昔の雰囲気を感じられるとともに、今の生活もある。
海の幸もおいしいし、都市なので他の店を選ぶこともできる。
かまぼこ屋があるのが、自分にとってはうれしい。
帰りにロマンスカーを選べることにも、ちょっとワクワクする。
昨年、熱海に行ったが、観光客が多くて、ちょっとうんざりした。
その点、小田原は、それほど混雑していない。
そういうわけで、小田原に行ってきた。
9時ごろに東京駅を出る東海道線に乗る。
グリーン車は少し混んでいて、外国人も多く見られる。
新橋で席が少し空いたので、山側の席に移る。
隣に座ってきたのは外国人のようで、目に入ったスマホの画面にはタイ語らしき文字が表示されていた。
品川を過ぎると、グリーンアテンダントが車内を巡回する。
隣席の頭上のランプは、Suicaをかざしていないことを示す赤い表示になっている。
グリーンアテンダントが隣の客に話しかけるが、要領を得ないようだ。
数分のやり取りがあり、ようやくここが「first class car」であることを理解した客が車両から出ていく。
こうしたやり取りを、グリーンアテンダントは赤いランプが示されている席にいる外国人それぞれに繰り返している。
大変な仕事だ。
「グリーン車」という表現が理解しづらい可能性がある。
タブレットで対応するなど、もう少しITが支援できる部分がないだろうか。
それでも、川崎駅を過ぎるころには、グリーン券を持たない客はすべて立ち去り、車内はいつも通りの客数となった。
これまで、東海道線に乗るときは海側の席を選ぶことが多かった。
今回は山側を選んだが、こちらもなかなかにおもしろい。
戸塚駅で、国府津行きの湘南新宿ラインに追いつく。
この乗り換えで、ちょっとしたトリックができるかもしれない。
大船駅で抜かれた特急踊り子を見ると、意外にも伊豆急下田行は混んでいるように見えた。
特急と比べ、普通グリーン車でもさほど変わらないわりに料金は安い、むしろ2階席の眺望がいいように思う。
一方で、踊り子だと、下田まで乗り換え不要なのが便利だ。
僕は移動そのものに価値を感じるのだが、多くの客は移動時間が短く、手間がかからない方がいいのだろう。
そういえば以前、上りの新幹線で、熱海からグリーン車に乗ってきた連中もいたのだから、景気もいいのかもしれない。
「高額のファーストクラスに乗っていただけるお客様がいらっしゃるから、エコノミークラスの客が飛行機に乗ることができるのだ、ありがたい」と言われれば、「そうですか」と言わざるを得ない。
500mlと350ml、山形豚ジャーキーをやっつけ、小田原駅に到着。
大きな駅舎を出て、小田原城の足元にある小田原市郷土文化館に行く。
展示によると、以前小田原には著名な政治家や実業家の別邸が多くあったらしい。
小田原には海があり、海産物があり、背後には山がある。
ミカンや茶は、静岡方面からの期待ができる。
温暖な気候だし、東京からもちょうどいい距離。
自分もいつかは住みたい、と思いを募らす。
でも、関東大震災で、90%以上の被災率があったとも知る。
地震と富士山噴火さえなければ、将来は小田原か静岡に移住したいのだが、そんなことを言っていると南関東のどこにも住めなくなる。
一通り展示を見て、分館である松永記念館へ向かう。
松永安左ヱ門は、福博電気軌道や九州電力の事業を手掛けたとして、名前は聞いていた。
スマホの地図アプリに従って進んだが、山がちな道を案内されたようで、景色がめっきりよく、眼下には新幹線が走る。
足腰の衰えや、ビールを運び上げる手間を考えなければ、ここに住んでみたい。
山縣有朋の別邸などを見、風光明媚に息が切れ、這うようにして松永記念館に到着。
松永安左ヱ門が集めた骨董や、年譜などを見る。
目を引いたのは、産業計画会議による勧告の展示だ。
当時顕在化されつつあった問題について、産業発展、経済成長の政策提言を行っていたようである。
中には、実現されたものもある。
ああ、僕もこんな勧告をしたい。
戻り道は、平地を選ぶことにする。
地図によると、この道は旧東海道のようであり、雰囲気があるようなないような道を行く。
新幹線の高架をくぐる前に、スーパーマーケットを見つけ、立ち寄る。
地元の品ぞろえもあり、近くに住みたいものだ。
そういえば、20世紀末、アルバイトで小田原のスーパーに品出しに行ったことがあった。
小田原はその時が初めてで、ロマンスカーを使っても、家から2時間かかった。
聞いたことのないスーパーだったし、店内はずっと同じ歌がかかっていて、1日そこにいただけでうんざりした。
それからしばらくその店の名を聞かなかったが、今はかなり成功しているスーパーチェーンとなっている。
最近はスポンサーの多くが控えているTV局にCMの出稿をしているが、配偶者の存在があるからなのだろうか。
国道1号線を進んでいく。
地図を見ると、海岸に向けてちょっとした突起があるのを見つけ、行ってみることにする。
小道に入り、気を引くパン屋を素通りすると、巨大構造物、西湘バイパスにぶつかる。
高架の切れ目を抜け、砂浜を歩くと、荒久の灯台があった。
突堤にあり、柵もないので、少し怖いが、先まで行ってみる。
相模湾が穏やかで美しい。
観光客がほどよくいて、にぎわっていた。
座って、少し滞在。
昼を過ぎ、飲食店が休憩に入る時間も迫ってきた。
旧東海道を歩き、干物屋やかまぼこ屋を眺める。
かまぼこメーカーがいくつもあるのが、心強い。
地図で見つけたすし屋に入り、カウンターに座る。
日本酒を飲み、中握りをいただく。
魚の味が濃厚で、悶絶。
すし屋を出て、少し歩くと、趣があるたたずまいの書店を見つける。
入って、少し本を見る。
土地柄、川崎長太郎の小説が置いてある。
川崎長太郎の名を知ったのは、御多分に漏れず、つげ義春からだ。
「抹香街」をウィッシュリストに入れたまま、まだ手にしていない。
これ以上自宅に読んでない本を積み上げるわけにはいかないので、ここは我慢する。
「このように、本との思いがけない出会いがあるから、書店は必要なのだ」という意見もあるのだろう。
僕も、地元に小さな書店がいくつかあった環境で育ってきた。
近所の本屋は、できれば残っていてほしい。
でも、現実的に見れば、かなり厳しいだろう。
一方で、今のウェブ書店に満足しているわけでもない。
現状では、書店のウェブサイトは、実店舗の書店を十分に再現できていない。
書店に足を運ばずに、ウェブで済ませることができれば、との期待で書店サイトを見てみる。
検索は確かに便利だけど、多くの書籍を俯瞰して探すのには満足できない。
実店舗では、売れ筋ではない本を手に取って確認したり、店員が企画したフェアで集められた書籍を眺めたりするのがおもしろい。
もちろん、それがウェブで実現できれば十分だし、できればそうなってほしい。
いつまでも実店舗の負担に甘えるわけにはいかない、もっと効率的な社会を希求していこう、と僕はここで産業界に勧告する。
カフェを見つけ、入店する。
店はゆったりとしているのだが、席はほぼ埋まっている。
キリマンジャロを注文すると、時間をかけてサイフォンでいれてくれた。
思うに僕は、接客業などまるでしてこなかった。
てきぱきと対応している、アルバイトかもしれない店員を尊敬してしまう。
僕はこの歳になっても、顧客対応などひどいもので、多くの失礼をやらかしている。
むしろ、コンピュータのご機嫌を取ることが圧倒的に多く、キーボードで「おもてなし」を重ねている。
成果物を迅速に届けることだけには自信があるが、そこはあまり評価されていないようにも感じる。
小田原駅に戻る。
行ったことのない西側の方に降り、アスティなどを眺める。
乗り場に戻り、果ての果てのような行く先の列車に乗り、グリーン車の座席に身を沈める。
レモンの利いた飲み物をこなし、相模川に残る昔の橋台などを眺めていると意識が途切れ、気付くと新橋だった。