曇天の続き

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2025-06-22 Sun.

倍展

2025-06-22

今週はいろいろあった。

東ゆめ子氏の訃報が出た。
北九州市出身であった。
最近まで舞台に立たれていたようで、残念だ。

放送に乗せたコンプライアンス違反もあれば、放送に出てこないコンプライアンス違反もあった。
どちらもどうしたものかと思う。
今回は目立つだけで、数多くのケースは表沙汰にならないまま切られているのだろう。
そういえば、先日ヒロミが自分のことを「危機管理能力が高い」とラジオで言っていたが、あれってバーベキューのことをネタにしていたのだろうか、その時は気付かなかった。
以前はやけどを負ったのだから、それはそうだろう。

そして、僕は嘘をつけない。
つかないのではなく、嘘をつくことができない。
一方で、隠し事はある。
隠すつもりはなくても、話さないことはある。
「何でも言うとは限らない」という警告は、時々必要だ。
そうしないと、信頼が依存や利用に転じる。

他人の嘘は受け入れられないし、隠し事の存在を公にされるのも、気分がよくない。
真実が露見しない嘘、存在すらわからない隠し事であれば、かろうじて受け入れられる。
僕はぼんやりしているので、周囲で起こっていることの大半が見えていない。

身内や仲間を守ろうとして、外に向かって放たれた嘘を、僕は許せない。
自分たち以外の存在を軽視している意識が、我慢ならない。
これはきっと、自分がどの立場から見てもその埒外にいることを強く自覚しているからだと思う。

言わなくていいことなのに世間に向かって言うのは、今の自分も一緒だ。
そうする必要はないのだが、そうすることによってもたらされる効用、つまりオープンにしておくことで社会に存在できるよう自身の軌道修正を図ることを求めている。

嘘をついてまで言うことでもないように見えるけれど、そうする事情もあるのだろう。
また、わけのわからない言動をして、自分の信頼度をより低くすることになるのも、何か理由があるのだろう。
それを踏まえて、端的に言って、不愉快だ。
もう何一つ信用することはなく、今後のチャンスは決してない。

FNSの日の第1回の放送中、視聴者が間違えて硬貨がいっぱいに詰まった瓶を放送局に持ってきた、と言って、タモリさんがその瓶を見せていた。
あれでずいぶん笑ったのだが、つい最近、あれは作家が考えたネタだった、という話を聞いた。
それが本当ならずっと騙されていたわけだが、不思議と腹は立たず、もともとパロディだし、むしろやられた感があったし、長年そのことを思い出して楽しい思いをしてきたのだから、むしろそのネタに感謝したいくらいだ。
そういう外に向かって楽しませる嘘なら、受け入れる余地があるのかもしれない。
人を楽しませる嘘をつくなんて至芸の域なのだから、僕などがそれをしようとしてはならない。

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