望陀
夏の終わり、深大寺に行くことにした。
いろいろ経緯があって、三鷹駅からの出発。
バス路線を調べ、深大寺行きを待つ。
「三鷹ってこんなに都会なんだー」などと言ってしまうと、自分がどんなところに住んでいるか露呈してしまう気がする。
今夏、こんなに多く出かけている理由は、カレンダーの曜日配列にある。
2023年、国民の祝日が土曜に重なることが何度かあるからなのか、やけに営業日が多い。
営業日が多いと勤務時間を調整する必要がある職場にいる。
一方で、僕は従業員であり、有給休暇が付与されている。
有給休暇の有効期限は2年間。
あまり声高には言えないが、僕は、労働者の鑑として、そして後進たちに道を拓くために、有給休暇を期限内にすべて使うつもりでいる。
それで2023年は、営業日が多いため、営業時間を調整して、有給休暇を使うことを目的に、隙を見て休暇を取っている。
休暇を取るために、周囲の理解形成と多少の威圧と強行を心がけている。
加えて、実は土日が忙しく、そして直近3年の閉じこもり生活の反動もあり、平日の外出を重ねているのだと思う。
時間は、放っておくと消えていくものだ。
だとしたら、消える前に時間を経験と知識に換えておこう。
変換のために金が必要なら、慎重にはなるが、使う。
「金と経験と知識は、あっても邪魔にならない」というのが、2023年時点の結論である。
なお、金はない。
バスに乗る。
通りにはチェーン店が並び、なじみのない名前のコーヒー屋がいくつもある。
まさか東八道路がここまでできるとは、と感心する。
航空宇宙技術研究所、という名前だった施設の前を通過する。
やがて道は少し狭くなり、バスは右へ曲がり、緑の中を進む。
「こんなところにウインズが」と思ったら、「JAマインズ」の見間違えだった。
バスは終点、深大寺に到着。
平日の朝だからか、バスの乗客はおじさんばかりなのだが、きっと自分もこんな風に見えているのだろう。
国分寺崖線、というわかったようなことを口にし、じゃぶじゃぶの湧水に驚く。
昔の人は、それなりの立地に、それなりの施設を作ったものだ。
本堂に黙礼し、裏の方にあるお堂も回り、国宝である釈迦如来像を拝観する。
東日本最古の国宝仏だそうだ。
山門のそばでたたずむ。
境内にはアジアからの観光客が多く、ここまで来るのか、というのが率直な感想である。
僕は上京したころ、西荻窪に住んでいたわけだが、面倒がっていたせいで、四半世紀経って初めて来たというのに。
寺社仏閣のそばでそばを食う気には、出雲そば以外、なれない。
近くに神代植物公園水生植物園があり、そっちにも行く。
城山があり、土塁があり、草むらがあり、暑くて人がいない。
公園に隣接する邸宅は、虫が多いだろうな、というのが感想。
せっかくなので、駅までの道を歩く。
調布市に入ってから、三鷹通りの幅が狭くなった気がする。
坂を下っていくと、中央自動車道を高架でくぐる。
ここに、深大寺バスストップがある。
住宅地内にあり、山中湖の研修所などに行くには便利そうである。
中央高速バスを見ると研修を連想するのは、僕が中央高速バスに乗った2回ともが研修や実習のためだったからであろう。
もの好きなのでバス停を見に行きそうになったけど、階段が道の反対側だったのでやめておいた。
通り沿いでは、北海道のどら焼きを保管する倉庫があり、店頭でラーメンとともに販売もしていた。
野川を渡り、このまままっすぐ進むと布田駅。
甲州街道を右に曲がる。
こんなところに電気通信大学があるのかとの発見に驚き、左に曲がる。
とんかつ屋が値段が高かったので、タンメン屋で昼食。
店内のTVで、初めて「ぽかぽか」を見た。
そういえば、「バイキング」は1回だけ、榎並アナが自滅的にしどろもどろになっているところを見た。
その後の番組は、微風のように過ぎ去り、僕を置いていった。
鶏のからあげがおいしかった。
調布駅の方へ歩く。
調布に来るのは、たぶん2回目。
1度目は、1999年8月18日、調布のパルコに映画「洗濯機は俺にまかせろ」を見に行った。
篠原哲雄監督、筒井道隆主演である。
映画のことは何も覚えていないけど、調布には夜に行って、駅前がすごく暗かったように記憶している。
覚えていないのに日付がわかるのは、記録していたからである。
その記録には映画の感想はなく、記述は閉塞感に満ちあふれている。
今と同じだ、気が抜けない。
ただ、同じでないことがあって、まずパルコの映画館はなくなった。
パルコの中に入っても何も思い出せず、映画館の痕跡にも気づけない。
あの時も調布にパルコがあることが不思議だったが、今もなおパルコが残っていることは奇跡のように感じる。
そして、地上の線路がなくなり、京王線が地下に入った。
相模原線との平面交差は解消され、調布駅は地下2層構造になった。
地上の線路跡には、京王が建てた施設があり、ビックカメラが入るとともに、映画館が新設された。
駅近くにある公共施設「たづくり」に入る。
人の流れについていくと、平和展という写真掲示がされている部屋に入った。
そこに、小倉の写真はない。
流れを振り切って、エレベータを待ち、最上階へと行く。
そこは展望スペースとなっており、建物の西側の風景が楽しめる。
富士山が見えるはずだが、夏の靄に隠されており、足元から広がる下界は行けども行けども家が並ぶ。
八王子の方に高い建物が見える。
きっと、高尾山がよく見えるのだろう。
展望スペースには何人かいるが、彼らは何をしているでもなく、ただ座っていた。
この施設に入っている図書館で水木しげるの展示を見て、階段で下に降りる。
階段の踊り場には各国の名所の写真が掲示されていた。
調布に空港があることにちなんで、疑似旅行を楽しんでもらおう、という趣向である。
ネパールのスワヤンブナートの写真があり、この場所に行った記憶がよみがえる。
僕にとってはどの記憶もそうだが、思い出すだけで苦しい。
駅に戻る。
駅らしい駅はなく、空間にポツンと口が空いているたたずまい。
降りて降りていくと、ちょうど上りの特急が出発しているところだった。
反対側の乗り場から快速に乗る。
快速に乗れば安心かな、と思っていたが、途中の駅で先行の各駅停車を抜き、その先の駅で後からきた列車に抜かされた。
高架化は進んでいるようだが、見ている限り進捗を感じるほどでもない。
モダンな京王線は、僕が生きているうちに実現するのだろうか。
「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition」を聴いているうちに、眠ってしまった。
列車はこのまま都営新宿線を進み、九段下で降りる。
九段下の駅構内が変わってから、初めて来たかもしれない。
よく簡単に、「バカ」などという言葉をつかえるものだ、デスクトップの整理はついたのだろうか。
「8月ジャーナリズム」に踊らされ、昭和館へ行く。
戦争は嫌なのだが、それとともに「こうしなければならない」「こういうことをするのはけしからん」というのが至る所に蔓延している社会が苦手だ。
その状況は今もあまり変わらない気がする。
太平洋シチューなど、食べたくない。
玉音放送を聴いて、「まあ聞き取れるかな」という感覚を得る。
スクリプトを見ながらのものだから、英語のリスニングと同じ程度である。
要は、負けたけど未来に向かって力を合わせろ、ということだろう、こちらもあまり変わらない。
あの頃の昭和天皇の年齢を、もう超えてしまった。
展示にすっかりあきれ返ってしまい、半藤一利展の会場へ移動。
せっかく教えてくれているのだから、同じ失敗を繰り返さなければいいのだが、すでにもう繰り返しているようだ。
1階で映されている映画ニュースを見て、ある時点で言っていることがガラッと変わるところに、鼻白み笑ってしまう。
最近もこういうことあった。
意を決して、九段会館へ行く。
九段会館は上京当初から避けていた物件だ。
渋谷から青山通り、赤坂見附を通って半蔵門を左に、千鳥ヶ淵に参り、武道館を見上げ、靖国神社を見学した後、最初に九段会館を見たとき、何かあったら壊れるんじゃないか、と直感し、身の危険を悟ったわけだ。
その後、経緯を知って「これはダメだ」と思い、後出しになるけど、その予感は当たってしまった。
それも、自分の意志で赴いたわけではなく、拒否しがたいイベントに参加した人が犠牲になったのだ。
状況が違えば十分避けられた事故であり、このことを見ても、全く変わらないな、と思った。
改装された九段会館は、現代建築技術が施され、ひとまず安心である。
屋上はテラスとレストランになっていて、値段を見て息を飲む。
会館内には当然のことに日本遺族会のオフィスがある。
いくらおっちょこちょいを前面に押し出しみっともないことをすることに抵抗感がないとはいえ、オフィスの前まで乗り込み、中をのぞき込むことはできなかった。
通りに出ると、Tシャツを着た中年女性の組が多い。
武道館で男闘呼組のライブがあるらしい。
まさに、ぎりぎりのタイミングであった。
帰宅して確認すると、持ち歩いていたマウスのスクロール部分が壊れていた。
また、金が要る。