必需
佐藤正午の小説「5」を読み終える。
彼の小説では珍しく、僕は内容があまり理解できず、それゆえ今回の評価は「4」である。
小説の中で、「一番大切なものは」という問いに対し、小説家が「パソコン」と答える箇所がある。
後でこれを「冗談」と弁明しているのだが、現実の僕はあまり冗談とは思えず、少し考え込んでしまった。
僕の場合、PCがなければ、生活のほとんどはストップしてしまう、と思ったからである。
まず、情報が入ってこない。
情報源として自宅で購入しているもので、PCを使わないものは、新聞とNHKのチャンネルくらいである。
雑誌を講読しているわけでもないし、どこかからレポートを買っているわけでもない。
一般的なニュースは新聞やNHKのTVやラジオから入ってくるだろうが、TVや新聞に僕が知りたいニュースが全てあるわけではない。
同様に、調べ物をすることもほとんどできない。
家には百科事典もない。
現状のレベルを保つには、ため込まれていく調べ物のリストを抱え、年に何回か図書館に閉じこもり調べ尽くす必要がある。
そして、PCがなければ、文章を書くことが著しく不便になる。
僕にとっては、「書く」とは「キーボードを打つ」ことと同じである。
15年前から、文章をキーボードで書くことを続けている。
考えるのは紙とペンを使って行うとしても、PCを使わないで文章を書くのはかなり苦しい。
紙の上だと遂行するのが大変だし、何より、自分の字の汚さに嫌気がさし、書きたくなくなる。
記録を見返すこともできない。
自分に記録と呼べるもののほとんどがPCの中にある。
ちょっとしたメモに至っても、全てがPCの中だ。
その記録を読み返さなければ、新しい文章を書くことが困難になる。
過去に何をやっていたか、思い出すことも難しい。
音楽も聴けない。
資産の管理(現実的に言えば小遣い帳をつけること)もPCでやっているのでできなくなる。
他人とのコミュニケーションを取ることも難しい。
ウェブサイトの更新もできない。
買い物もできないし、地図も持っていないから行ったことのない場所にたどり着くこともできない。
PCがなければ何もできない、と言うつもりはない。
例えば、旅行先にPCを持って行かなくても、困ることはない。
事前に準備していけば対応できるし、自宅に帰ってPCを使って記録をつけたり調べ物をしたりすれば、それで済むからだ。
ただ、PCがないと、とても困る。
ここ15年くらい、PCを経由して行動するように、生活を意図的に移行させてきたところがある。
PCに依存するつもりはないが、PCを最大限に活用させようとしてきた。
PCがなければ、生活を維持することは困難だし、PCなしで生活できるようにするにはかなりの時間と資源を必要とするだろう。
そういう意味で、「PCが一番大事」と言ってもいいように思う。
僕にとっては、PCは紙とペン以上のものだ。
「じゃあ、PCさえあればいいの」と発言する人が必ず出てくる。
僕はPCが一番大事だと言っているだけであり、PCだけあればいいとは考えていない。
「あなたにとって一番大事なものは何ですか」という、何を意図しているのかわからない質問に対し、僕は素直に「空気」と答える。
空気がないと困りますね。
その次に大事なのは、水かな。
かといって、浄水器やウォーターサーバの売り込みはお断りである。