閉内
2020-04-14
気づいたら、大きな災害の中に閉じ込められている。
街が、閉まっている。
よく考えると、そもそも僕には欲しいものがなかったことに気づき、店が閉まっていても特に困ることはない。
お世話になった店には申し訳ないけれど、ドトールでコーヒーを飲んでいたのを、家でコーヒーを飲むことに替えれば済むことだ。
眼鏡のつるのカバーがボロボロになってしまい、近いうちに新しい眼鏡を買おうと思っていたのだが、これはまあ、しばらくあきらめる。
けれど、今後生活必需品の供給が縮小したりしたら、どうなるのだろう。
華のない自分の生活でも、さすがに危うくなる。
最近の人間は、リスクに気づくことには長けてきた。
しかし、リスクに対処する術はまだまだ未熟なようだ。
賢い人たちが、その賢さで気づいたリスクにおののいてしまい、騒ぎ立てるだけだ。
雑音を排し日常を保つことだけでも、個々人にできるリスク対応策に十分なると思うのだが、この考えはそれほど受け入れてはもらえない。
みんな、行政に預金でもしているのか、金を引き出すように求めている。
批判の対象である体制は、僕ら有権者が長年かけて築いてきた(あるいは放置しているうちに育った)ものだ。
結局は、自省あるのみ。
これまで何をやってきたのだろうか。