熟鷹
藤本博史氏が、ソフトバンクホークスの監督を退任された。
1989年、ホークスのフランチャイズが福岡に移ってきたとき、僕はホークスのファンであろう、と決めた。
僕らはそれまでずっと、西鉄ライオンズを知る大人たちが唱える「神様、仏様、稲尾様」を聞かされており、今回もきっとそんなことが起こるのだろうと思って、とにかく僕は懸命に応援し、ペナント制覇、日本一奪取を夢見ていた。
TVで観戦し、ラジオを聴き、北九州市民球場の試合を見に行き、平和台で鴻臚館を思い、福岡ドームで子門真人の「ホークスタウン物語」を歌った。
福岡に最初に来た年は、杉浦忠監督の下シーズン4位だったものの、見ごたえのあるシーズンだったように思う。
特に、北九州市民球場では負けがつかなかった。
バナザード、アップショーの時代である。
しかしながら、ドラフト1位指名した元木に拒否され、次の年からのシーズンはひどいものだった。
試合途中までは調子が良くても、終盤になると投手陣が崩れ、ヒット、エラー、ホームランで逆転される。
TVQの中継では勝っていても、中継が終わりKBCラジオに移ると負けていたりしていた。
閉店前のバーゲンセールに、ラジオを一緒に聞いていた父親の機嫌が何度も悪くなった。
ちなみに、野球中継を聞いていたことが、ラジオを聞くきっかけになった。
中学校の先輩であるカズ山本氏が母校に講演にいらした際、ずいぶんと歓迎した。
活舌が悪く何言っているかはわからなかった(というネタを多く繰った)が、実際はその時いただいた「忍耐とは、耐えて、耐えて、耐えて、ジャンプすること」という言葉を座右の銘の1つとしてきた。
「球界の草刈正雄」こと、森脇浩司氏に悶絶した。
ホークスが福岡に来る前、僕はライオンズファンでもあったため、秋山幸二氏がホークスに来たときは、とても喜び、バク宙を繰り返した気分になった(トレードで佐々木や村田を放出したことは、苦しかったが)。
秋山仁氏へのオファー間違いがなくて、よかった。
福岡ドームができ、根本監督が就任され、1994年は何となくいい感じになったのだが、この年もBクラスで、何を応援しているのかよくわからなくなってきた。
そして、城島が入り、石毛や工藤が入り、根本監督が事務職に回り王監督が就任したことで、なんだか違うチームになってきたように感じた。
そして1995年、ケビン・ミッチェルのことが決定的で、5月ごろにはホークスへの興味が失せていた。
そのあとの、カズ山本の放出や、脱税事件やら、サイン盗み疑惑やらがあり、僕も小倉を離れたこともあって、ホークスの動きを追うことがなくなった。
だから、僕にとってのホークスとは、選手が魅力的で、期待はできて、でも弱くて、ずっとBクラスで、鷹のヘルメットをかぶったチーム、というイメージだ。
1999年の優勝に思うことはなかったし(むしろこの時は、山本和範選手の決勝ホームランのことを覚えている)、今に至るまで、とても「常勝軍団」というイメージはない。
2020年にradikoのタイムフリーで「PAO~N」を聞き始めて、「Hawks マン・オブ・ザ・ウィーク」で西村龍次氏の活躍をうかがい、「ホークス3軍はなぜ成功したのか?」を読んだことで育成システムを知ることもあり、再び興味を取り戻しつつはあった。
仲根かすみのこともあり、和田毅選手についてはやっかみを超えた応援をしていたのはある。
そのイメージの中で、藤本選手は、スターだった。
大阪から身売りされた選手たちが、福岡に来てどんな思いだったのかわからない。
ずいぶんと癖のあるパ・リーグのプレイヤーたちが来たものだと、子供ながらに感じていた。
藤本博史は、緊張感のある内野守備と何をするかわからないヒッティング、そして愛すべきキャラクターと口ひげがあり、応援のし甲斐があった。
その藤本が2022年に監督就任したことには、驚かされた。
上にもあるように、もはやホークスのことは追っておらず、彼がどのようにチームとかかわっているのかも知らなかった。
ましてや、王、秋山、工藤というスター選手が監督を務めた後の就任である。
優勝するのが当たり前のような雰囲気の中で、藤本監督の就任は、かなり失礼になるが、格の違いを感じた。
そして、これは小久保裕紀へのつなぎとしての就任なのだろう、と思うに十分だった。
知らなかったのだが、藤本監督の地元での人気が高かったようで、就任は歓迎されており、ホッとした。
そして、この2年間、大変難しく苦しいシーズンを藤本監督は過ごされたと察する。
シーズン中も浮き沈みが激しかったが、終盤だけを取り上げると、2022年はバファローズとゲーム差なしでありながら、直接対戦の勝利数で優勝を逸し、2023年のクライマックスシリーズは、延長10回に3点差をつけたにもかかわらず逆転され、シーズンを終えた。
2023年の全試合終了の同日中に球団から退任が発表された。
クライマックスシリーズが終わった翌日の退任会見、およびTVQでの退任後インタビューを拝見した。
最初に口をついた「しんどかった」というのが、象徴的であろう。
厳しいペナントを耐えて、耐えて、耐えていただいたのだから、ステップ、ジャンプが続くものとと信じたい。
現役、コーチ、監督とホークス生活30年にわたる活躍と献身に、藤本監督には本当にお疲れさまとお伝えしたいし、感謝するばかりである。
僕が見ていたホークスは、これでいったん終わってしまった、という気すらしている。