訣離
赤川次郎 著「いもうと」を読む。
反省の結果、もう少し積極的にフィクションを読もう、ということで、長らくリストに上がっていた本作を攻略することにした。
「20世紀に見た映画で最も好きな映画」ということに便宜的に決めつけてしまった、「ふたり」。
その原作の続編が出たと聞いてから、ずいぶんと経ってしまった。
まずは、Kindleでサンプルを入手して、読む。
読み飛ばしはしたくないし、限られた時間で読み進めなければならないという制約からも逃れたい。
なので、小説は図書館で借りることをせず、購入することにしているのだ。
もっとも、出費をためらうがゆえ、小説に触れる機会が減っているのも、確かだ。
…。
納税者のたしなみとして、今回は公立図書館の蔵書で済ませることにする。
実加は成長し、企業に勤めている。
母がおらず、父がいて、父の妻がいて、父の妻の娘がいて、真子が戻ってきて、神永が出てくる。
いつの時代のことなのか、時代観がどうにも邪魔に感じるが、そういうものなのだと思う。
何なのだろう「連絡会議」、スポーツインストラクター、ウェディングプランナー。
ホテル勤めが放った率直な物言いが成立する世界とは全くの無縁である自分が情けなくなる。
フィクションならではの事件は起きるし、外泊すれば常にその結果がもたらされる。
時間が動いても何一つ変わることがない、少しだけその神格性を脅かされそうになる千鶴子に対して、感涙する。
石田ひかりでも、奥菜恵でも、どっちであっても、周囲の気随気ままに付き合わざるを得ない、そのような人生を作者に選ばされている主人公に、同情する。
もっとも、幸せな生活は、小説になりがたい。
記憶している以上、これが初めての赤川次郎著作の読書経験だったと思う。
もっとも、自分の記憶は当てにならないし、次の赤川作品が「初めて」になるかもしれない、そんな日が来るかもわからないが。
映画「運命じゃない人」を見る。
これもずいぶん前からリストにあって、ようやく対応する気になった。
その間に、内田けんじ作品の次回作の間隔が空き、中村靖日の次回作を望めなくなってしまった。
つまり、こういう映画が好きである。
ストーリーがすべてであり、ストーリーを描くためにキャラクターがあってほしいし、ストーリーで訴えようとしてこなくていい。
そういったものは、徹底的に抑えきったとしても、結局のところにじみ出てくるものだ。
この映画で言えば、最後にやっぱり戻ってきたところに出てきている。
ただ、戻ったところで、持っていったモノがモノだし、新たなキャラクターも加わることになるし、まだ話は続くだろう。
そういう余韻が、さらによい。
親分には象印賞を差し上げたい。
そして、調布駅。
もはや存在しない地上駅だったころの調布駅の姿を映像に残していることに価値がある。
僕は以前は地上にあり今は地下化されている途中駅の例を、他にあまり知らない…、と書いて、例をいくつか思い浮かべる、近い将来の新井薬師前駅とか。
とにかく、今の調布駅の「片付けられぶり」を思うと、その姿が映像に残っていることがいとおしい。