対峙
2016-06-17
田中慎弥「これからもそうだ。」を読了。
やはり、P31の
鳩は、決して慌てることはなく、トンネルを潜った先の門司港駅で降りる。
が気になる。
果たして、西日本新聞社の校正をすり抜けるものだろうか。
鳩が関門海峡を列車を使って渡る話は、確かに聞いたことがある。
収められている「見切り発車」というエッセイでは、著者が列車に乗り、小倉、若松、行橋、後藤寺、香椎をめぐる様子が記されている。
列車に乗る前に、著者の居住地である下関に触れ、船に乗り、著者が幼少の一時期を過ごした門司に触れる。
もちろん依頼主のせいもあるだろうが、著者は海峡側を向き生活をしている、と感じた。
僕は小倉の人間であり、海峡の先を想像しながらくすぶっていたのだが、下関に住む著者は僕とは反対側から海峡を見て暮らしている。
逆に言うと、海峡の反対側、東側には背を向けているように見えた。
もちろん僕が育った街なので、「見切り発車」が描く街並みを楽しめたのだが、最も興味をひかれたのは後藤寺のくだりである。
「確かに繁栄していた街」には、そこかしこにアンバランスが転がっている。
いずれにせよ、どの街も凡人には描写のしようのない、拍子抜けの街だと思う。
小倉の映画館や書店の描写は、まったくもって共感できる。
いくつもあった「入りがたい映画館」がほぼすべてシネマコンプレックスに置き換わっても、個性的な品ぞろえで歴史を感じた書店が消え去っても、同じような営みが続く。
ところで、葉室燐「柚子は九年で」にもあったのだが、文学賞を取ると、何の交流もなかった地元の議員から花が届けられるらしい。
こうした事実は、すべからくオープンにされるべきだ。