無粋
何でも質問して、答えを知りたがるのは、興ざめである。
もしかしたら、「枕草子」にもそう書いてあるかもしれない。
僕がそれを思い知ったのは、井上陽水の発言による。
「テレフォンショッキング」に井上陽水が出たときの話。
その頃、井上陽水は新しいアルバム「九段」をリリースしていた。
人望のないタモリが、これまた人望のない井上陽水にこんな風に尋ねた。
「あの「九段」っていうタイトルの意味は何なんですか?」
確かに、誰しも抱く疑問である。
そのときの井上陽水の答えは、あるサイトによると、こうである。
「あのね、色んな現象とかね、色んな事柄をね、なぜだ?と考えはじめるとね、人間は何故生まれて来たとかさ、そういう話にまでさかのぼるから、大変っていえば大変なんですよ。ですからまぁ、九段って事であれば、あの、九段かと、それでいいのに、どうしてもこの理由を求めたがる」
この発言を聞いたとき、本当にびっくりした。
人は誰しも意味を探りたがる。
ましてやクリエーターであれば自分の作品の意味を語りたがる。
そう思っていた。
それが、根底から覆された。
実際には意味はあるのかもしれない。
だけど、それを軽々しく聞いてダメなのだ。
ナンセンス・ギャグのパイオニア、赤塚不二夫先生。
その申し子、タモリが、意味を聞いてたしなめられた事件である。
僕も気をつけよう、と肝に銘じた。
それから、10年あまり。
タモリが、赤塚不二夫の葬儀で弔辞を「読んだ」。
その弔辞について、いろいろと憶測が飛んだ。
「いいとも」のディレクターだった横澤さんは、その真相を直接タモリに聴き、「あれは「勧進帳」だった」という発言を引き出した。
僕には、その一連の話すらネタのように思えてしまう。
「勧進帳」がギャグ?
んなわけない。
赤塚先生の葬儀から数か月が経ち、ある日の「テレフォンショッキング」に徳光和夫が出演した。
司会などで普段から番組を仕切っている芸能人がゲストに来る「テレフォンショッキング」は非常にやっかいである。
なぜなら、ゲストが段取りをあらかじめ考えてくるため、それがタモリのプランとかち合ってしまうのだ。
ちなみに、「徹子の部屋」に出るときのタモリは、黒柳徹子に進行を委ねきっているように見える。
「テレフォン」では、徳光さんが冒頭、「今日は私がタモリさんに質問しようと思います」という展開に出た。
不安的中である。
徳光さんがいくつか質問をして、タモリがそれに答えた。
そして、ついに徳光さんはあの質問をしてしまう。
「赤塚さんの葬儀の弔辞、あれは白紙に見えましたが、実際は白紙だったんですか?」
あーあ。
野暮すぎる。
これぞ、人は興ざめと呼ぶ。
それでも、僕はミーハーである。
ここで、本当のことがわかるのか。
タモリがどう返すか、緊張が走った。
それに対するタモリの答え。
「ずいぶん前のことだから忘れましたねー」
…すばらしい。
そうなのだ、もう数か月も前のことだから、すっかり忘れてしまったのだ。
だから、真相なんて永遠にわからない。
それで全然構わないのだ。
あえて野暮な質問をする徳光さんに、粋に答えるタモリ。
これで、成立してしまった。
ただ、徳光さんを野暮だと簡単に責め立てることはできない。
このあたりのクラスになると、何が決めごとで、何がアドリブなのか、全くわからない。
それに、この後、徳光さんは「若手芸人をどう思うか」という質問をし、タモリから重要な発言を引き出している。
言えることは、ただ2つ。
昔のテレフォンショッキングの会話を起こし、今でも公開しているのはすごい、ということ。
そして、この一連の長い文章こそ、まさに無粋である、ということ。
品川祐のブログを反面教師にして、生きていこうと思う。