曇天の続き

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2017-07-08 Sat.

更暮

2017-07-08

小倉逗留2日目。
天候は、晴れ。

事情があって、皿倉山へ行くことになる。
父親が車で送ってくれると言うが、「道のりあっての旅である」と拒絶。
天気を気にすると、母親がTVのデータ放送で予報を確認してくれて、「データ放送を活用している人もいるのだな」と感心。

西小倉駅前に出て、高速バスいとうづ号。
これに乗れば、都市高速4号線上にある「皿倉山ケーブル」停留所に連れて行ってくれる。
この機会を逃すと、いとうづ号にはいつまでも乗らないままだっただろう。

厚生年金会館の前を通り、初めて「アルモニーサンク」という名称の意図に思い当たる。
まだ五市合併を引きずっていたのか、と。
これから何度、大学で勉強したフランス語の知識が役に立つのだろう。

街中で歩車分離信号が目立つのは気のせいだろうか。
僕が運転しているわけでもないのに、すごいストレス。

木町市場のところを曲がって、少し行ったところで「この辺で火災があったのだな」と確認し、歯科大病院がきれいになっているのを知り、到津の森公園に結局観覧車が残っているのかと嘆息し、社宅が並んでいたこの辺りもきれいになったものだねと裏事情に思いをはせ、中央町の栄華にも思いをはせ、大谷ランプの大きさに驚愕し、40分くらいで皿倉山ケーブル。
半分ほどの乗車率だった。
いとうづ号は、20分間隔の運行。
七条あたりから(博多駅ではなく)天神まで行くには便利なのだろう。

ケーブルカーの発車時刻まで時間があったので、ケーブルカーの機構について模型を見ながら学ぶ。
車体の内側の車輪がフラットになっており、この構造だからこそポイントが必要ないことを初めて知った。

ケーブルカーとスロープカーを乗り継いで、山頂に到達。
前回訪れた2007年はスロープカーがまだなく、ケーブル山頂駅から徒歩で登った。

洞海湾は、昨日までの雨によって、濁っている。
山頂から市域をおおよそ一望でき、何がどこにあるのか把握することができた。
眼下にはスペースワールドが広がり、この風景も見納めである。
西側に見える、内陸の湖は、おそらく頓田貯水池であろう。
その向こうには、遠賀川が伸びている。
東側を見ると、やはりメディアドームの異様な大きさが目立つ。
ビールが飲みたかったが、売店に人はいなかった。

山を下り、タクシーを呼んで八幡駅に向かう。
昼食は、駅前のチャンポン屋。
製鉄病院まで出張に行った人が、「駅前のチャンポン屋がおいしい」と教えてくれたのだ。
量が多く、味もおいしく、チキンカツも入っていて、大満足。

八幡駅から電車に乗る。
黒崎、陣原と過ぎ、折尾で下車。
2013年に来た時にはまだあった折尾駅舎は、もうなくなっていた。
レンガ造りの壁や橋げたもいずれなくなるのだろう。
堀川を往復し、ねじりまんぽを確認し、駅前のミスタードーナツで休憩。

折尾駅からは、DENCHAに乗る。
「環境首都を目指す北九州にふさわしい乗り物」という触れ込みでDENCHAが筑豊本線に導入されたと聞くが、僕はこのDENCHAという名前こそ、北九州にふさわしいと思う。
4年前に折尾から若松に向かった際は、気動車であり、座席の上から冷房の水が垂れてくる始末であったことを思うと、隔世の感がある。

この折尾から若松へ向かう区間は、のどかでとてもいい。
しばらく林の中を進んだ後に、右側には洞海湾の風景が広がり、対岸には先ほど上った皿倉山などの連山を望むことができる。
振り返れば、国道の後ろにも山が控えている。
その狭間を、蓄電池式電車が進むのは何とも心地よい。
先頭車両まで行き、運転席を覗きたかったのだが、高校生が運転席の後ろで英単語集を開いていたので、遠慮した。

若松駅に到着。
駅舎の写真から過去の栄華を読み取り、街を歩く。
商店街に飾られている写真を見て、ああ若戸大橋には橋台のところに2つのバス停があったのだった、と思い出す。
1980年ごろ、僕は父親と若戸大橋を歩いて渡ったのだが、今となってはそれが本当のことだったのか、自信がなくなってくる。
海岸に出ると、古い洋館からジャズの演奏が聞こえてくる。
若松はジャズの街である、とのことらしいが、今でもその空気は確かに残っているようだ。

渡船場に到着。
もっときれいに整備すればいいのにと思うのだが、それは僕の感覚が変なのだろうか。
「ここから多くのバスが出ていたのだな」と確かに思わせる建物ではあるのだが、もうよくないか。

若戸渡船で3分間の船旅を終えれば、戸畑渡場。
戸畑渡場からのバスもめっきり少なくなってしまった。
なぜ、バスと渡船の連絡を途切れさせようとするのか。
ここまで路面電車が通っていたのも、もう30年以上前の話である。

戸畑駅へまっすぐに続く道を歩く。
よく見ると、貸間をやっているところがいくつかある。
まだ需要があるのだろうか。

500mほど歩き、いわゆる駅の「裏口」に到着する。
僕の過去の記憶だと、1度だけ戸畑駅の貨物線のホームに降り立ったことがある。
しかし、僕の生まれた時にはもう貨物線は旅客利用されていなかったはずなので、あれは誤った記憶なのだろうか。
ここに来るたび何度も貨物線上のホーム跡を探しているのだが、戸畑駅自体移設されてしまったので、しっかりと確認できたことがない。
ちなみに、そばに見えるそば屋が、梅田彩佳のアルバイト先だった店である。

駅前の公共施設で一休み。
間もなくに迫ってきた戸畑祇園山笠は、これもまたいつの間にかユネスコ無形文化遺産に指定されてしまった。
僕としては、子供のころに何度か行った戸畑市民会館が駅前に移設されたことに感慨を覚える。

戸畑駅前からバスに乗って、帰宅。
最近バス事情が大きく変わってしまい、適切なバス路線を選ぶのに苦労する。
今後は過去の記憶に頼らず、事前に調べてから利用しなければならない。

夕食は、家で宴会。
主に刺身を食べる。
「このヒラメ、歯ごたえがあってとてもうまい」と言ったら、実はフグだということが判明。
この時期にフグが盛り合わせに入っているとは思わなかったので不覚だったが、それにしてもフグと知らずにフグを食べて、「このヒラメ、うまい」と言った、などというエピソードは、とても東京では披露できない。
また、「出水に舞姫」という芋焼酎がふるまわれ、一升瓶を半分以上空けてしまった模様。
話題としては、スタジアムができて何がJ3か、ということしか覚えていない。

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