手癖
口内炎ができてからというもの、言葉を口にしようとするだけでも痛みが走る。
そのため、話すのを極力慎しむようにしている。
こんなことになるのなら、西村知美か酒井法子に手話を教えてもらっておけばよかった。
話せない代わりに、手の動作と「ウゴウゴ」といううなり声だけで多くの意思伝達をこなしている。
「ノッポさんがゴン太くんになった」とは、ある人のほほえましいご指摘。
話すことがままならないと、自分がおしゃべりだったことを改めて気づく。
何か言いたくて仕方がないのだ。
僕の周囲の人は、2つに分けられる。
僕が無口だと思っている人と、僕がおしゃべりだと思っている人だ。
なぜそんな違いが生まれるかというと、おそらく僕が二重人格だからであろう。
僕は陰気な人見知り、かつおしゃべりなのだ。
ちなみに、太田光によると普段の高見映(現:高見のっぽ?)はスーパーおしゃべりらしいが、マサにガスだね。
ところで、山下達郎と大滝詠一による恒例の新春放談を初めて聞いた知人から、次のような感想がもたらされた。
「山下達郎っておしゃべりおじさんだな。それにしても、大滝詠一って生きてたんだ」
前者については、僕は20年前からそう思っていたので、大きく頷いた。
後者については、時々指さし確認しなければ僕も分からなくなる。
昨年、「大滝詠一トリビュートコンサート」が開催されたが、その広告に「本人の出演はございません」とあったことから、「どうやらまだ生きているらしい」とは推測できる。
大貫妙子のラジオ「懐かしい未来」によると、コンサート当日、彼は会場まで来ていて、みんなで何とか引っ張り出そうとしたけど、結局彼を引っ張り出すことはできなかった。
「テレフォンショッキング」で電話が回ってきても出演を断ったくらいだから、自分のトリビュートコンサートごときで登場するはずもないか。