曇天の続き

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2025-11-22 Sat.

空回

2025-11-22

行政書士試験を受けてきた。

8月に税理士試験を終えてから、行政書士試験の学習を開始。
試験までは14週。

まずは、前回の振り返り。
結果は、当然不合格だった。
これまで3回受けた中では点数が最も高く、初めて、記述式の採点までいった。
だが、記述式の解答を書ききれず、点数はほとんどなかった。
総得点では、択一の正答数をあと数問、というところまで来た。
準備の際、民法をさらう時間の確保が足りなかった。

学習のペースを作るべく、まずは、基礎法学、一般常識、憲法から。
そのあとは、行政法、民法へと移った。
商法は、さほどやっていない。

勉強法は、主にテキストを読む方法。
今回ようやく気付いたのだが、テキストは法令の文章をそのまままとめた、という感じで、中身まで踏み込んでいない。
それをやると法律の解釈となり、正確さが問われることになるのだろう。
こちらは初学者だから、解説までしてもらわないと理解がすすまない。

そこで役に立ったのは、「マスター」という名の書籍だった。
こちらは、法令の基本理念や、問題の解き方まで踏み込んだ内容となっていた。
行政法と民法については、これを読み込んだ。

後は、一問一答形式の問題集を解く。
前回も、過去問は解いていたが、選択肢から1つを選ぶため、僕が持っている受験テクニックが発動され、内容まで踏み込んで考えないことがあった。
一問一答であれば、答えと解説を1つ1つ読み込むことができ、理解が深まった。

ただ、この勉強法を確立できたのは、試験の2週間前の段階であった。
8月以降コンスタントに学習を続けていたのだが、途中で旅行に行ったり、ゲームにはまったり、咳が止まらず頭痛がしたり、ふがいない飲み会に参加したりなど、学習を継続できない期間が数回あった。
意志の力が足りないだけだ。

試験当日。
天気は、3年連続の雨である。
試験会場は、2024年と同じ。
主たる試験官も、昨年と同じだったように記憶する。
出席率は、60%を超えているくらいか。

マークシートに生年月日を記入するが、年は西暦ではなく元号で記入する。
年に1回、この時だけ手書きで「昭和」と書く機会である。
マークは「大正」「昭和」「平成」が用意されている。
「令和」が出できたときショックを受けるのだろうが、その時までには受けるのをやめていたい。
猶予は、あと数年である。

試験時間は3時間。
開始直後、まず記述式の問題を眺める。
行政訴訟の問題と、夫婦の代理の問題と、隣家が火事の問題。
もう記述式対策はあきらめていて、というより、択一で理解を深めたうえで記述式に臨むのが、正当な手順だと思う。
そして、冒頭に戻り順に解いていく。
見直しを含めて、マークは1時間、記述式を含めて1時間30分ほどかかった。
以前はそんなこともなかったが、最近では試験時間中に集中を持続させる体力も気にしなければならない。
「若さ」の重要性は、加齢を経なければわからない。
僕にとっての「運動」とは、結局は試験に挑み続けることなのだろう。

試験終了。
机に貼ってある受験番号のシールを問題用紙に貼る、という作業を、試験官の指示の前に済ませるのも、さみしい。
今回は、間違いなく手ごたえがあった。
合格は間違いない。
これでもう行政書士試験を受けずに済むし、新しいことにも挑戦できる。
次は、「1990年代半ばの出来事検定」だろうか。

翌日の夜、自己採点を行う。
思っていたよりも、間違いが多い。
実は、記述式の採点に至らずとも合格している、とすら思っていた。
だからこそ、昼間から浮かれて「ふかひれそば」などを食べてしまったのだ。

結局、択一式で前回より2問多く間違っていた。
多肢選択式は同じ点数、一般常識で1問多く正解。
つまり、前回より点数がよくない。

「手ごたえがあった」「前回を上回った」と思ったのは、前回の記憶をもとにした自分の感想である。
僕は結局、過去の記憶があいまいなまま現在を生き、都合良く書き換えた印象で自己満足に陥っているようだ。
実際のところ全然進歩していないし、結果を見れば、むしろ後退している。

試験は、結果が出るからまだよい。
普段からこんないい加減な自己評価をしているのなら、実に始末が悪い。
でも、年齢を重ねると、自己欺瞞を続けながら生きていかなければ、やっていけないものなのかもしれない。

憂鬱ながら、来年のことを考える。
次は、結果が出るのだろうか。
これ以上の進歩は望めず、自分と相性のいい問題が出るまで、いつまでも待ち続けることになるのだろうか。
そもそもこの試験を受ける意味すら見失いつつあり、率直に言ってつらい。

5年前に行政書士の受験を決意したころよりは、まあましにはなっているという自覚はある。
無礼な行為に対し、「それ、ちゃんと法令にのっとっているんでしょうね」と返す脅しも、より重く、そして面倒な印象を与えられていると思う。
もっとも、その「進歩している」という自覚すら疑ってかからなければならない。
ただ、そんなことを言っていたら、もう生きていけない。

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