宿命
2013-10-23
今回のことで思い出すのは、「ドラえもん」の1つの話である「宇宙ターザン」のエピソードである。
僕は今回のニュースを、僕のことをよく知る人からのメールで知った。
思わぬ不意打ちで、僕は手にしていた携帯電話を落としてしまった。
それくらい動揺したので、周囲が「何事か」と僕に尋ねた。
僕は、「来年の3月で「いいとも」が終わってしまう!」と叫んだ(覚えていないけど、たぶん叫んだのだと思う)。
ある人は、「そうなんだ」と言った。
ある人は、「知っているよ、さっきネットでニュースを見た」と答えた。
ある人は、「最近は「ヒルナンデス」見てるし」とかわした。
ある人に至っては、「ここ10年くらい、「いいとも」は全く見ていない」とまで言った。
どちらかというと、僕は、「宇宙ターザン」に熱狂するのび太ではなく、クオリティの凋落を冷静に分析するドラえもんのほうにスタンスが近かったように思う。
それでも、過去に熱狂していたことを忘れてしまっている、空き地の「その他大勢」とは、明らかに異なる気持ちを持っていた。
のび太は、寝食を忘れて「宇宙ターザン」の人気回復策を考えた。
僕はドラえもんの考え方に近いので、のび太のようなことはしない。
「終わってしまう」という事実を受け入れようとする心は、優秀な弁護士の手にかかれば「愛していない証拠」になるのだろうか。
藤本先生は、何を思って「宇宙ターザン」の回を書いたのだろう。
悔しさなのだろうか、それとも読者に対する感謝なのだろうか。
ストーリのあるマンガやドラマとは違い、「打ち切り」は、ギャグマンガやお笑い番組の宿命である。