匕首
金があっても、維持費のかかるものを買うことに二の足を踏む。
成金の話を聞くと、マンションを買っただの、車を複数台所有するだの、子供を私立の学校に入れただの、ウォーターサーバを設置しただの、そういったところに金を使っている。
購入時点だけでなく、以後ずっと金を食うものを所有することに躊躇しないことが、金持ちのいいところだし、悲劇に付け込まれる隙でもある。
一方で、僕には今後も継続的に金が入ってくるという保証がない。
だから、将来の支出を確定させるような行動に出ることを控えている。
食事とか、本とか、服とかそういうメンテナンスに金がかからないものであれば、抵抗なく金を消費できる。
維持費を食うもので、今最も欲しいものはスマートフォンだ。
スマートフォンの本体はかなり安い、と感じる。
しかし、月々の通信料を今後延々と払っていくことを承諾できないため、今は所有していない。
スマートフォンを活用できるシーンは多々あるだろう。
でも、現状では、なければないで済んでいる。
例えば、僕は街で余計な寄り道をして道に迷うことが多いので、スマートフォンがあれば、地図アプリを使うことにより、道に迷うこともなくなるだろう。
ただ、スマートフォンがなくても、地図を携帯すれば、今は十分事足りている。
多少の不便はあるが、許容範囲内だ。
恐れているのは、料金が下がらないまま、周囲からスマートフォンを持つことを強制される時代の到来だ。
携帯電話が普及し始めたとき、同じことを感じた。
「携帯電話を持っていないと、連絡を取りづらい」とクレームがつくようになり、僕はやむなく携帯電話を持った。
一番腹が立ったのは、「レポートを写させてくれ」という電話が何度もかかってくるようになったことだ。
拒絶するのが嫌で雲隠れしていたのに、雲隠れの意味がなくなった。
携帯電話は、羞恥心のない人間の増長に十分貢献したと思う。
これまでは、スマートフォンを持たなくとも、困ることは特になかった。
TwitterもFacebookも、コミュニケーション手段として一旦は普及しかけたが、周囲の熱が勝手に冷めてくれたので、とても助かった。
今は、LINEの普及に恐怖を感じる。
MLLは「サテライトで探して欲しい 私のいるところ」と歌ったが、僕はできるだけ見つけられたくない。
あるいは、スマートフォンにおけるキラーアプリの出現を、自分は待ちわびているだけなのかもしれない。
もう少し押してくれるものが現れれば、僕はスマートフォンを買い、きっと虜になることだろう。