曇天の続き

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2025-03-08 Sat.

拝像

2025-03-08

年初と比べ、ドル円が8円ほどドル安。
円に対してドルの価値が5%超、下がった。

普段、勤務時間内は成果物作成に邁進し、勤務時間外は勤務日に備えて体のメンテナンスに気を遣っている。
形式ばることが極端に苦手とはいえ、金をもらう以上、勤務では体裁を整えたものを納めるように努めている。
その結果、2024年は120ドルの利益が残った。

それを打ち消すほどに、資産評価額が大きく下がった。

誰かが金を持っていったわけでもない。
円に対してドルの需要が少なくなり、自分が持っているドル建て資産の評価が下がっただけだ。

ドル高の時には全く実感がない一方で、ドル安は身にこたえ、気になる。
それでも、ドル安自体は、ドル高同様に歓迎する、というか受け止める。
ITエンジニアである僕は、資金の国外流出に大きく荷担させられており、ドル高にはホッとする。
とっとと、円建て価格のクラウド使用料を下げてほしい。
また、エネルギー資源の価格が為替相場に連動して下がることを期待する。
現実は、渋谷のラーメンが1杯900円、大盛が1K円。

市場の変動に揺さぶられ、心の隙間ができる瞬間に、「何のために働いているのだろう」という疑問が挿し込まれてくる。
日銭を稼ぐことと、市場が動くこととの間に、大きな隔たりというか、スケールの違いや振幅の差があり、頭がついていかない。

問いに対する答えは一応出していて、決して金のためではなく、「社会をよりよくするため」に働いている。
賃金の獲得は、社会形成の営みを維持するための制約条件にすぎない。

こういうことを自分にずっと言い聞かせて、心の安定を維持しようとし続けるのみ。
これが、市場の淵に身を置くことが許されている、非力なインデックス投資家の…、市場参加者のできることだ。
それすらできなくなれば、自分の金は、市場ではなく像や壺に吸い込まれていく、しまいには、この身すらも。

ところで、ドル建てで見ると、資産評価額の変動は約1%下落程度。
2025年は投資資金の切り崩しから始まっており、その影響で、状況を正確にとらえるには込み入った計算が必要となり、それは面倒でやっていない。
1%減は正確な計測ではないとはいえ、ベンチマークとしている指標は3%ほどの上昇であり、まあ妥当と言えよう。
NISA参入者の阿鼻叫喚は、僕の耳にはまだ聞こえてこない。

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