曇天の続き

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2025-03-16 Sun.

代替

2025-03-16

新宿ミロードが閉館する。

新宿では東南口を活動の起点としていた僕にとって、ミロードとは、便利な食事処、便利なスターバックスコーヒー、というイメージである。
「ミロードだったら、席は確保できるだろう、何を食べるかはともかくとして」という安易な考えに応えてくれる場所だった。

ずいぶんと昔の記憶をたどると「ドロミ」を思い出す。
本名は、ミロ・ド・ロミ。
ミロードのキャラクターを務めていたが、いつの間にか姿を消し、ミロートンにとって代わられた。
年始に、久しぶりに「ルミ姉」がルミネの広告に現れたのも、ドロミへの惜別の意を表した結果に違いない。

ドロミがいたことが夢だったのか虚偽の記憶なのか、不安になるのだが、確かに「ドロミ像」はあった。
その「ドロミ像」があったのが、モザイク通りだ。

新宿に来るようになり、モザイク通りを「発見」してからというもの、何百回と上り下りを重ねた。
西口から南口へショートカットできるモザイク通りは、京王線ルミネ口とともに、僕の新宿移動を快適にしてくれた。
京王百貨店の脇から、クセのある店舗が並ぶ坂道を階段で上るかスロープを進むかで悩み、時に雨に濡れたタイルで足元が滑りそうになりながらも歩を進めると、いつの間にか建物の中につながっていて、階上に進むと甲州街道をまたぐデッキに出て、そのままサザンテラスに抜けていく。
その感覚が心地よかった。
坂を上る際に、勾配に不満を言う人と、通りのたたずまいと道並みの軽妙さを楽しむ人がいて、それがその後何かの判断基準になったようにも思う。
2023年にモザイク通りが閉鎖されたのは大きなショックで、「これで青春も終わったな」とすら感じた。

閉館を前にして、ミロードで何度か食事をとった。
何ともミロードらしいスタイルの店ぞろい、つまり自分は場違いだった。
館内には開館からの軌跡を振り返るパネルが掲示されていた。
よく探したものの、「ドロミ」に触れられた箇所を見つけられなかった。

HOKUOでパンを買ったのも懐かしいし、失意のうちに山頭火でラーメンを食べたこともあった。。
そんなにゆかりもないのに、ミロードの閉館が自分の人生に1つのピリオドをもたらすような気がしてならない。
これで、新宿フラッグスがなくなるようなら、いよいよ自分の時代は終わる。

そういえば、少し前に新宿アルタも閉館になった。

多くの人が思うように、「前までは行ったことがあるが、中には入ったことのない場所」の代名詞が、新宿アルタであった。
そうは言っても僕は何度も入ってはいるが、新宿アルタに入る目的は「新宿アルタに入る」以外、なかった。
あるいは、そのロゴを池袋や原宿でも見かけて驚く、というのがアルタであった。

こちらも閉館直前に何度か行った。
雑貨があり、オカダヤがあり、レコード店があり、とやはり全く縁のない場所であった。
地下にセブンイレブンがあることに気付かず、もっと早く知っておけば便利だったのに、と悔いた。

五右衛門で何度かスパゲティを食べた。
メニューに加わった「きのことベーコンの和風バター醤油」が、飽きない。
このメニューにもっと早く出会っていれば、もうちょっとここに通ったかもしれない。

エスカレータ脇には、アルタにゆかりのある有名人の直筆入り写真パネルが飾られてあった。
タモリさん、関根さん、小堺さん、爆笑問題、ココリコ、劇団ひとり、タカアンドドシ、又吉直樹、ベッキー、柳原可奈子など、アルタで撮影した写真に、メッセージが寄せられていた。

11年経過したものの、僕は今も、「いいとも」の夢を見る。
先日の夢では、「テレフォンショッキング」に米倉涼子が出ていた。
画面の中でボソボソと話しつつ、うつむいて黙り込み、少し間が空いた後、ようやく気付き、「これもう本番なの?」と叫びだす。
その様子に、タモリさんが上体を前に屈ませながら笑っていた。
「いいとも」がもし続いていたら、いろいろなことがなかったり、あったりしたのだろうな、と思う。

笑福亭鶴瓶のパネルもあった。
見たくもないが、何か違和感がある。
よく見ると、直筆のメッセージで「ところ」とあるべき箇所が「ことろ」となっている。

ウェブ検索してみると、アルタのSNSにその顛末が書かれていた。
スタッフが鶴瓶に間違っていることを指摘すると、鶴瓶は「まあ、ええやろ」と言って、直すことをしなかった。
まともに文字を並べることもできないし、間違いを認めて書き直すことぐらいが未熟な者ができるせめてもの礼儀であるにもかかわらず、書き間違いをそのままにし、あたかも「味」を醸し出したかのようにふるまい、自分が芸の達人であるかのように気取る様が垣間見え、とにかく腹が立って立って仕方なく思えた。

鶴瓶は、粗雑に扱われ、周囲から徹底的にボロカスに言われることにより、あいつの狂気の本性があらわれ、そこにこそ存在価値がある。
どつかれ、くさされ、苦し紛れに「尼崎のドブから生まれたヤツら」と言い放ち、仁鶴兄さんにチクろうとするあわれさ。
加齢、過労、清潔な正義感の2025年。
大好きな場面も、これからはほとんど発生しないのだろうな、と思うと、それこそ自分が楽しかった時代の終焉である。

東京出身で、子供のころから街に親しんできた人を前にすると、ついこないだ東京に出てきた僕はどうも気後れしてしまう。
先日、東京出身者に、今はない新宿にあったものについて、相手も当然知っていると思って話していたのだが、「全然知らないです、東京のこと詳しいですね」と返された。
よく考えたら、その人は十分に若く、僕が東京に出てきた後に生まれていた。
そういう年齢である。
ドロミの話などを披露したら、大惨事。

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