曇天の続き

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2024-01-06 Sat.

資見

2024-01-06

自分の身の回りのことを、いつものように自分で続ける。
優先される必要があるのなら、そちらに資源が回ればいい。
こちらは、手元にあるものでやっていく。
それが、世界の安寧へとつながっていることを信じる。

2023年の金銭事情について振り返る。

金について新たなモットーを考え、それは、「減らす、増やす、活かす」である。
支出を減らす、収入を増やす、そして余剰を活かす。
この順番で細々とやっていく、くらいが、自分の甲斐性にふさわしい。

まず、支出。
2023年は、大いに金を使った。

自己啓発に使った金が、予算を超えた。
具体的な使い道は、資格試験の参考書や試験料、英語の書籍、ChatGPTに関する雑誌などである。
買った割には、そんなに勉強の時間を取ったという感じもしない。
特に結果を出したわけでもなく、買うだけ買って満足した、と言われても仕方がない。

また、交際費が予算を大きく超えた。
ここは、人にプレゼントをしたり、飲み会に行ったりした費用を計上している。
懇親会に行くことをほぼ根絶したのに、何に金を使ったのだろう。
記録を見ても、小さな出費が積み重なり、全容が把握できない。
大きかったのは、父の日、母の日である。
ここ数年、何かを買ったという実感はなく、請求書が送られてくるだけになってしまっている。
2023年は、よくわからないけど高額の請求が回ってきた。
でも結局、親に対してはそれくらいしかできない。
両親が高齢となった今となっては、旅行にも連れていけないし、食材を送るというのも気が引ける。
せめて、自分で着たい服を選んでもらって、外出してもらうことくらいしか望めない。
それでも、最近では、外出することすら少し心配してしまう。
つくづく親不孝である。
そのほか、飲み会の支払いを1つ終えておらず、額も不明のため計上していない。
酔っぱらっていた上、進んだ老眼で伝票が読めずに、支払いをうやむやにしてしまった(もちろん、払う)。
2024年は、人付き合いがますます悪くなりそうだ。

自己啓発費と交際費は、僕にとっては「投資」に分類される出費である。
「投資」なので、リターンの回収まで至らなければならないが、得られた実感がない。
今までボコボコに空いていた穴を少し埋めることができた、と言えるのかもしれない。

健康のため、納豆、ピーナッツ、チーズ、トマトジュースを日常的に購入した。
また、食事を含めて、ドトールに63回行き、ふがいない人生を憂いた。
娯楽費を、ほぼ使い切った。
デスクに置くスピーカーを買うための予算を組んでいたが、使い道を失っていたコンポオーディオを置けば済むことに気付き、出費を抑えたことが、何よりよかった。

収入、特に労働による所得だが、なんかもう、ドカッと増えるようなことは今までも起きなかったし、これからももう起こりえない、いやほんの少しでも増えたりすることすらもうないように思えてきた。
PEファンドへの就職を真剣に考えたりもしたけど、メンタリティの違いを思い知らされた感じ。
金も欲しいけど、時間も欲しい。
週3日くらいの拘束で、17時にオフィスを離れて、今の所得を上回る仕事、どこかからオファーされないだろうか。

所得が増えるのはいつでも歓迎である一方で、実は金の使い道が限られていることにも気づいてしまっている。
時間がなくて使う暇がない、という側面もあるが、欲しいものやしたいことが見当たらないのも事実。
酒を飲むのもきついし、趣味もなければ、娯楽もない。
家を買うにも、エレベータを待ちたくないし、草むしりもしたくない。
外出すれば、必ずみじめな思いをする。
服を選ぶのも面倒だし、買い物もうまくない。
2023年にペンケースを買ったのだが、年末に改めてそのペンケースを見ると、少し形が崩れたり、端がほころびたりしていて、5.5K円の出費をずっと悔やんでいるのだ。

所詮、金があっても、洗濯物は乾かない。
もちろん、誰かにやってもらって賃金を払う、という手段もあるのだろう。
でも、僕の場合は、その誰かが介在すること自体をうっとうしく思いそうだ。
車を買ったとしても、自分で運転しなければいけない。
運転を頼むとしたら、密閉された空間を知らない運転手と共有するのに気がめいり、自分の行きたい場所を知られるのを気にする。
そして、車に乗っている間中、車の維持費のことをずっと気に病むだろう。

根っからの貧乏性で甲斐性なしで、非社交的で小心者で、傲慢でわがままである。
だから、公共財を駆使することで自分の身の回りのことは自分で処理していく術を開発しなければならない。
だからこそ、日ごろから税金を払っている。

以前、4Mドルを受け取ったらというシミュレーションをして、適当なことを書いた。
適当だったつもりだけど、自分の望みが結局のところ、服、健康、旅行、そして習い事くらいしかないことが露呈し、思いのほかすっきりした気がした。
それらに年25Kドル、そして生活費が年50Kドルで、年間75Kドルあれば、金銭的には不満のない生活が過ごせそうだ。
給与所得なら、徴収率が約20%なので、年間94Kドル得られれば十分と言える。
それを超過する収入を得ても、市場に還流するだけとなる。
コストなくもらえるのなら喜んで受け取るが、自分からしっぽを振って、というか、無理してもらおうとすることもないのかと思う。
価値が相手にもたらされ、自分の生活も維持されれば、それでいい、もちろん、それはとても難しい。
ディスクレームのための蛇足だが、実際の生活はかけ離れたものであるので、ご安心を。

最後に、投資。

年初に決めた投資計画を遂行したが、年の途中で計算を誤っていたことに気付き、早々に活動を終えた。
例年に増して、つまらなさが上乗せされた年だった。
年末に、期限を迎えるNISA残高をすべて売却した。
売却で得た資金はそのまま、2024年の年初に、同じ商品を全額買い戻しにあてる。

この1年で円安が10円ほど進んだ。
つまり、1ドル持っていたら、円換算で1円増えたことになる。
10ドル持っていたら、10円増である。
僕の場合、1.2Kドルくらい持っているはずなので、12K円増えた。
ただ、持ち金が増えた気が一切しない。

2023年、営業利益が120ドルくらいあったと思う。
2024年も例年通り、これを2週に1回、5ドルずつ投資し、投資信託の口数を記録する。
何も望めない。

この数年、旅行に行けない時期が続いた。
予算計上していた旅行費などが余り、余剰の一部を寄付しつつも、残りを投資に回していた。
2023年は、そういった余剰の蓄積が産んだ運用益の一部を寄付することにした。
寄付先はもちろん、KBC ラジオ・チャリティ・ミュージックソンである。
いろいろな気持ちがあるけれど、公共的な寄付先は、しばらくは1つに絞る。

2023年をもって、資産管理簿からiDeCo残高を外した。
絵にかいた餅を眺めてもむなしいだけだとようやく気付き、Buy and Hold戦略から、 Buy and Forget戦略に変えることにした。
勘違いしてはいけないのは、forgetするべきは残高や評価額であり、世界のことを忘れてはならない。

人間、いずれ誰もがFIREを迎える。
先延ばしができるかもしれないが、いつかは公的扶助と持ち金でやり過ごすしかなくなる。
加えるならせいぜい著作権収入があったかもしれないが、著作権はもう売っちゃったし、にもかかわらずまた担保にして金を借りようとして捕まっちゃうし、でも才覚があれば、さらに3億円近くは引き出せるかもしれない。
とにかく、僕の場合、FIREは目に入らざるを得ない距離にまで近づいている。
出口戦略、そろそろ金を使うことも考えなくてはならない。

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