愛蔵
「今年は金がある」と錯覚して、ウィッシュリストを見返してホイホイ買っていたら、予算を大きく超過していたことに気づく。
しばらく、何も買えない。
その無計画な買い物の中で購入したのが、「完全保存版 藤子・F・不二雄の世界」である。
F先生がなくなった直後にまとめられた、いわゆる追悼本だ。
中身は、前半が先生の歩み、膨大な作品群の紹介、トキワ荘メンバーの座談会。
そして、後半が作品の傑作選。
子供のころはただただ何度も読み返しただけだったが、いま改めて読むと、気づかなかった深い趣がどれにもあって、心が苦しくなる。
思えば、「ドラえもん」のてんコミのそれぞれの本の最終話は、何か印象的な余韻を自然に感じていたが、あとで先生が作品の掲載順にこだわっていたのを知り、その温かさに感謝した。
本には、「ミノタウルスの皿」も収録されている。
子供のころに「ミノタウルスの皿」を読んで、受け止められていただろうか。
20年前くらいに初めて読んだが、今読んでもその面白さというか、怖さが突き刺さってくる。
子供のころと言えば、藤子不二雄というだけで、月曜ドラマランド「夢カメラ」を視聴し、普段の作品とは全く異なる感じに怖い思いをして、それでも毎回楽しみしていたのを思い出す。
2019年10月から「ドラえもん」の放送が土曜17時になり、今もまだ慣れない。
声優が一新された2005年以来あまり見ていない自分が言うことでもないが、全体の視聴率のことを考えて編成を組む人の思いは到底理解できない。
「徹子の部屋」もそうだが、「ドラえもん」を終わらせにかかる人が、TVの作り手の中に存在するのだろうか。
誰もが「鉄腕アトム」のことは知っているが、「鉄腕アトム」の具体的なストーリーを知っている人は少ない、というような結末を、すべての作品が迎えるわけでもないと信じる。
大人の手際が悪いばかりに、映画の公開に支障が出る、などということを、大人はしてはいけない。