曇天の続き

Diary > 2017 > 12 > 29 | Prev < Calendar > Next | RSS 1.0
2017-12-29 Fri.

豊平

2017-12-29

映画「雪の断章 -情熱-」を視聴。

時代は変わったものである。
VHSが存在することはわかっていたが、手に入らない。
DVDは、あるかどうかもよくわからない。
そんな状況が変化し、Amazonビデオで視聴できるようになっていた。

事前知識がほとんどなく、視聴に臨んだ。
主演が斉藤由貴であることは知っていたが、それ以外のキャストは知らず、榎木孝明、世良公則が出てきたことにシンプルに驚いた。
北海道が舞台であることも知らず、レオナルド熊の刑事役は「最後までピントのずれた捜査を続ける刑事」像を全うしていた。

感想は、「意味不明」に尽きる。
ここでいう「意味不明」は、相米慎二の演出にかかわることではない。
綱渡りや道化師を思わせる各所の演出や、バイクの後部に乗って「夏の扉」を歌う斉藤由貴や、エンドカットが忠臣蔵であることには、僕はむしろ満足である。
公園におけるキャッチボールのシーンなど、鳥肌が立つ。

「意味不明」なのは、話の内容である。
7歳の子供を男が突然引き取るのは、まだいい。
10年経って、幼少時に扶養されていた家族の次女と同級生になったり、長女がアパートの階上に引っ越してきたりすることも、果てはその長女が服毒死することも、かろうじて受け入れられる。
もちろん、斉藤由貴演じる役が真犯人ではないことも、観客は知っている。

しかし、その後の、斉藤由貴、榎木孝明、世良公則のそれぞれの関係性、女子高生がどのようにして青酸を手に入れたと警察は考えているのだろうという疑問、「それ、ばれないのか」というようなトリックとその発見過程、短い逃避行と独白、大学進学を決めた人間にそれを言うかという独善的な行動、観客に明らかにされない犯行動機(ここは、演出に唯一疑問を持つところだ)、そして、「何だよ、結局そこに落ち着くのか」というエンディング。
「現実味がない」から理解できないのではなく、「話を進めるために都合をつけていないか」という観念にとらわれてしまう。

おそらく、このようなタイプの話について、僕の方に読書の経験値が足りず、内容に全くついていけないのだと思う。
いくら斉藤由貴が動き回り、泳ぎまくり、雨にぬれまくっていても、その頑張りを受け入れられない。
「翔んだカップル」を見た時には、この映画ほど置いて行かれた感じはしなかった。
もしかしたら、加齢のせいなのかもしれない。
佐々木丸美による原作に対しての評価は低くなく、きっと原作のせいではないのだろう。

一方で、共感できたこともある。
それは、孤独な人間は、永遠に孤独であるということだ。
複数人のコミュニティに属している者は、そのコミュニティの輪を自然と広げることが容易である。
しかし、長い間1人でいた者は、まず2人になることに高い障壁がある。
2人でいることと、2人でいることに失敗して1人になることを行き来し、いつまでもその連環を抜け出せない。
どこかで見切りをつけなければ、自己憐憫の毒牙にやられてしまう。

さて、Amazonビデオで見ることができる相米慎二監督作品は、「雪の断章」の外に、「セーラー服と機関銃」「魚影の群れ」「ラブホテル」「風花」がある。
これらはすべて見ているが、視聴可能な状況がいつまで続くかもわからないので、今後も頻繁に見ていくことにしよう。

これで、相米慎二監督作品で見ていないものは、「光る女」のみとなった。
機会は近いうちに得られるだろうか、各方面のご協力を乞う。

Link
Diary > 2017 > 12 > 29 | Prev < Calendar > Next | RSS 1.0