忖度
2017年の目標は、小説を読むことである。
人の気持ちを全く理解できないまま、長い時間を過ごしてきた。
だが、年を重ねるとさすがにいろいろと支障が出てきて、このままの生活を過ごすのも苦しい。
他人の気持ちを思い量れるようになりたい、と考えるようになった。
ところで、僕はフィクションを読む習慣を持っていない。
登場人物の名前や描写を片っ端から忘れ、話を全く楽しめない、というのが、フィクションから距離を置いてきた理由である。
一説によると、人の気持ちを理解するには、フィクションに親しむことがよい、とあった。
僕は、人の気持ちを理解するために、小説を読むという目標を立てることにした。
これが悲しいことである、という事実には、一応気づけている。
さて、小説を読む、ということを、2017年の目標としたのだが、年の半ばに来年の目標を立てる、というのは、僕がよくやることである。
目標を立て、その目標が果たせず、気持ちが沈む、というリスクを避けるために、目標が達成可能かを事前に諮っておきたい。
ただでさえ誰からも励まされることなどないのだから、そうやってモチベーションの維持を積極的に行わないと、結果的に人に迷惑をかける。
そういう経緯で、来年どのくらいの小説を読むことができるのかをある程度把握するために、数か月くらい前から、小説を読み始めている。
2016年1月以降、読んだフィクションは、
- 芥川龍之介「歯車」
- 佐藤正午「リボルバー」
- 佐藤正午「ジャンプ」
- 佐藤正午「彼女について知ることのすべて」
- 海野十三「十八時の音楽浴」
- 森見登美彦「ペンギン・ハイウェイ」
- 佐藤正午「Y」
- エドウィン・アボット・アボット「フラットランド」
- カズオ・イシグロ「日の名残り」
- いとうせいこう「想像ラジオ」
- 佐藤正午「5」
このリストに、大長編ドラえもん「のび太の日本誕生」を入れてもいいのなら、遠慮なくそうする。
結局、佐藤正午を読み直すことになっているのだが、もちろん佐藤正午は楽しめる。
森見登美彦も、カズオ・イシグロも面白い。
一方で、「想像ラジオ」については、実はあまり共感できなくて、自分に何か重大なものが欠落していることを思い知らされた。
海野十三は期待したほどでもなく、芥川龍之介はまた機会があれば読むだろう。
Kindleは本当に便利で、僕の読書習慣を大きく変えてくれた。
Kindleがあったからこそ、「想像ラジオ」も読む気になれた。
「フラットランド」については、Kindleがなければ読む機会を得られなかった。
今は、福永武彦の「廃市・飛ぶ男」をKindleで読んでいる。
この福永武彦の作品集の中で、曜日の感覚を忘れていた主人公が登場する。
それを見て、僕は曜日の間違えるようなことはなかったな、と思い当たる。
水曜と木曜は間違えたかもしれないが、主人公のように、平日と週末、たとえば火曜と土曜を間違えるようなことは、これまでもなかった。
なぜだろうと考えた結果、ある仮説に思い当たった。
子供のころからTVばかり見ていて、TV中心の生活を送ってきた結果、曜日に敏感になった。
特に「いいとも」を毎日見ていたころは、日替わりのゲストで曜日の認識を新たにしていた。
曜日を気にしている一方で、数週間にまたがる計画というものを僕は立てられない。
長い期間にわたって計画を立てなければならないようなこと、例えば試験対策であっても、本気になるのは結局試験日1週間前である。
大学受験もそんな感じだったから、自分でも驚く。
だからこそ、日々の生活で習慣づけし、能力の着実な練成を必要とする。
窮屈を感じるが、仕方がない。