曇天の続き

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2016-07-13 Wed.

身丈

2016-07-13

母方の祖父は、都会を好んでおり、以前は大牟田での仕事にげってん起こし、横浜に引っ越した。
横浜と言っても、横浜駅に出るまで1時間近くかかる場所だったし、しかも木更津勤めのために、横浜に帰るのは週末のみだった、と聞いている。
木更津に居を構えなかったのは、子供のためだろうし、その判断は実に賢明である。
その後、僕の誕生のタイミングで一旦小倉に戻ったものの、また田川に引っ込んだ。
そして、田川での仕事を退職した後は、また小倉に出てきた。
しばらくいたが、祖母の希望により田川に戻り、そこで祖母の若返りが進み、また小倉に出てきた。

今となってはよくわからないのだが、なぜ「都会」を好んでいるのに、小倉に住んだのだろう。
いっそのこと、福岡に出ればよかったのでは、と思うのだ。
理由の1つには、当然娘が小倉に住んでいたことがあるだろうが、別の理由として小倉くらいがちょうどよかったからだと思う。

ふと、自分の中にある別の疑問に気付いた。
福岡に住むとして、いったいどこに住むのがいいのだろう。
たとえば、僕が福岡の大学に進学したとしたら、いったいどこに住んでいただろう。
もちろん、実家から通うという手はあるし、実際多くの人がそうしていたが、博多駅から大学まで通う手段のことを考えると、僕は絶対に拒否していただろう。

真っ先に思いついたのは、おじが住んでいた西新である。
あるいは、小倉に少しでも近い、という理由で、香椎という選択肢もある。
ただ、東区は天神に出づらいので、できるだけ避けたい。
西鉄電車沿線もいいのかもしれない。
とにかく、バスでしか動けないような場所に住むのは、御免である。

ただ、いくつか候補が思い浮かぶものの、家賃の感覚が全くないので、どこに住めばよいのか決定できない、というのが現実である。
そもそも、福岡市内の地理を、僕はそれほど把握していない。

祖父も、僕と同様、もしかしたらさほど福岡に親しみがなかったものと思う。
祖父と福岡に行ったのは、1度くらいしか記憶がない。
それも、久留米に行った時であり、福岡は西鉄電車乗り換えのための通過地である。
しかも、その時も、帰りは久留米から冷水峠を越えるバスで飯塚経由で田川に戻ってきた。
また、篠栗の奥之院にはよくついていったが、その時も福岡まで行くことは1度もなく、筑前山手駅前のバス停から、八木山峠を越えるバスに乗り帰宅した。

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