瞑口
「自分の知っている以上のことは語るな」
「リア王」に出てくる台詞である。
もちろん僕は「リア王」を読んだことがない。
杉下右京警部に教えてもらったのだ。
ところで、今は、佐藤正午のエッセイ集「豚を盗む」を読み進めている。
相変わらず、文庫に収められてからしか読まないのだ。
その中のエッセイの1つに、話し言葉の漢字変換について書かれたものがある。
「ほんと」(本当)、「たいく」(体育)などと並んで、「じょうおう」(女王)について言及されていた。
この日記でも、以前「女王」の漢字変換について触れた。
また言わなくてもいいことを言ってしまった、と気付かされる。
以前も似たようなことがあった。
頭を抱え込む。
この先、このエッセイ集を読むことに恐怖すら覚える。
自分の考えが以前から存在していることを、また知るのではないか、と。
少し前に「伊丹十三の本」というのを読んだが、その中の伊丹十三のエッセイに、
最後にあなたに小さく耳打ちしましょう。
「私の信念―メニューの中に、うまいものが必ず一個はある」
とあるのを目にし、愕然とした。
こちらも、この日記で同じようなことを書いていたからだ。
最近読んだモリシゲの「人師は遭い難し」でも、
(山茶花究が言うことには)「すまんが最初の一杯をキューッとあおっている時は、黙っていて欲しいンや。酒が五臓六腑にしみわたり、熱い血が全身を走る瞬間があるやろ。あの時が酒の醍醐味やからナ、その時話しかけられても返事は出来んから、おぼえておいてくれ!」
とあり、これも僕が2005年に書いた「飲み屋で一杯目のビールを頼んでから半分飲み終わるまでに話しかけてくる奴は口が瞬間接着剤でくっついてしまえ」とどこかしら似ている。
僕はこう思う。
「自分の考えていることは語るな」
そのことは、既に誰かが言及している。