初見
十年たてば一昔に
何かと意味を探したがる
だけど
woo baby それは偶然にすぎない
woo baby ふりだしにもどれ!
ふと思い出した旋律。
上はその旋律に当てられた歌詞である。
国道同士が十字路を形成する交差点で、排気ガスで頭をやられながら自転車を走らせた時に思い出した。
三萩野じゃないよ。
交差点の脇には、教会がある。
教会の上には、ある施設があり、その施設の上には大きな看板が掲げられている。
そこには、「人生再チャレンジ修業」風な言葉が書かれている。
「再チャレンジ」。
2年くらい前に政府関係者がしきりに発言していたと記憶する。
言葉がうさんくさいのは我慢するけど、今ほとんどこの言葉を聞かれないのを思うと、せめて続けて欲しいものだなとは思う。
あの時発言していた人たちは、今は自分たちの「再チャレンジ」で頭がいっぱいである。
とても庶民の暮らしのことまで考えられないだろう。
ともかく、上記の歌詞である。
数年間潜伏し続け、突然浮上した記憶。
何の歌だったかもちろん覚えている。
First Impressionの2枚目のアルバム「supernatural」の1曲目「全ては終りから始まるのさ」である。
東京で初めて買ったアルバム。
1997年2月27日、新宿東口のタワーレコードで買ったんだと思う。
まだFlagsはなくて、武蔵野館がある付近のビルの2階か3階にタワーレコードはあったはずだ。
そのCDはまだ家にあるはずだが、iTunesに取り込んではいなかった。
せっかく記憶が再訪してくれたのだから、取り込むことにしよう。
奥からCDを引っ張り出すと、ケースのちょうつがいの部分にひびが入っていて、ふたがはずれてしまう。
そういえば、買ったときからこうなっていたのだ。
もっとも、買ったのは東京だったが、気付いたのは小倉に戻ってからなので、当時は文句を主張することができなかった。
メガネ吹きでCDを放射状に拭き(保管していたCDには大抵カビが生えている)、iTunesにCDを取り込んでいる間に、ケースを新しいものに取り替えた。
285枚目のCDである。
もっとも、iTunesにおける285枚目であり、Media Playerにも数十枚分のCDが死蔵されている。
あの扱いは、どうしたらいいものなのだろう。
早速聞いてみる。
♪
十分聞くに堪える。
僕はまだこのアルバムを嫌いになってはいないようだった。
ウェブ社会の素晴らしいところは、音沙汰のないアーティストの動向を調査できることである。
だから、いつまでもアーティストのファンでいられる。
だから、今でも僕は「8分のバニラ」の現状を知ることができ…、何にでも限界はある。
生まれて初めて「First Impression」のことをウェブで調べてみた。
このサイトが見つかった。
バックナンバーを読むと、気をそそられる作品ばかり並んでいる。
しばらくはここに挙げられたアルバムを聴いていくことにしよう。
で、長々と前置きがあったわけだが、ここからが本題。
上でリンクしたサイトから得た情報によると、僕にとって驚愕の事実が判明した。
僕が好きだったFirst Impressionのメンバーのうちの2人は、これまた僕が好きなOriginal Loveに以前所属していた。
僕はこの事実を十数年は知らず、First Impressionを聞き続けていたことになる。
道理で、First Impressionを気に入っていたわけだ。
またまた、「相変わらず囚われている」という現実に慟哭しそうになる。
ソニーも言っている。
10代で口ずさんだ歌を、
人は一生、 口ずさむ。
だから、大人たちは10代からなけなしの小遣いを搾取しようとしているのだ。
そこに意味はない。
振り出しに戻って「再チャレンジ」しても、結局10年経てばまた元通りだろう。