珍重
ナンシー関・町山広美「隣家全焼」を読了。
「地獄で仏」(ナンシー関・大月隆寛)に続けて読んだ。
前対談集に比べると、文章を受け入れられるように感じた。
対談相手が変わったからか、時代が1990年代後半に移ったからか、こっちが取り戻してきたからなのか。
思うに、批評者たちも批評対象と同じシステムを持っている。
熱狂することは共通している。
そして、ターゲットの種類と、周囲との温度差があるという自覚があることに、批評対象との差異がある。
システムが同じであるという認識を持っているかどうかが、前対談集との差のように感じた。
でも、結局、長島一茂や松岡修造の様子を見たいから、僕はTVを見ているのだ。
現在だったら、丸山桂里奈だろう。
荻原健司や谷亮子にかかわらないようにしながら、浜口京子をトキのように温かく見守る(けど引き取りはしない)というのが、TV視聴だ。
上村愛子の無双にかげりを見ることになっても、松本薫のアイスクリーム屋が怪しくなく成功してほしい、ついでに、里谷多恵の行状が所属組織を体現していると思い込むのが、視聴者であろう。
小塚崇彦のことも気になるし、中野友加里がどうしたなども気になる。
TVは見世物であり、ダメなものが集まっているから、続けて見られているのかもしれない。
金曜も、TV番組の出演者が集まって、「マジカル頭脳パワー」でやっていたクイズで競っていて、やはりそれを見てしまった。
ディズニーキャラクター名を暗記し、全問正解する小手伸也やまひるに、素直に感心した。
川栄李奈は20分ですべてを暗記したそうで、空き領域がある方が重宝する例があることも知った(芦田愛菜との対比として)。
でも、周囲は誰も触れない。
やらせがあったとは考えすらしないくらい、模範的な視聴者だと自負している。
今夜だって、「鬼レンチャン」の「400m走」を見てしまうのだろう。
先日のバス旅の再放送で、当時の山田まりやが男子高校生に話しかけているのを見て、控えめに言って、番組を見ながら食べていた生姜焼きの味に異変を覚えた。
それにしても、本田理沙が中津市出身なのは知らなかった。
結婚の話が導く領域への好奇心は、ここで留めておこう。
中村由真が前田耕陽と「GODDESS」というバンドを組んでいたのも、まあ知らなかった。
「あいつ今何してる?」がそれもカバーする性質の番組だったことも、知らなかった。