爽桃
久しぶりに、穏やかな休日である。
今週、吹雪の荒天で、悪態をつきまくったことがうそであるかのように、穏やか心持だ。
朝、カフェにて雑誌「リンネル」を読む。
田中麗奈さんは、本当はたくさん食べたいけれど、40代になると体重はすぐ増えるのに減らすのは難しく、ダイエットも大変なので、普段から「腸活」を心がけ、発酵食品を摂取している。
小麦を食べると体が重くなるように思え、米粉でパンやスウィーツを作り、食べたらおいしくて体も軽くなった。
すき間時間に、お腹をねじるエクササイズ。
素敵な人はケアしている、インナービューティー。
転ばぬ先の臓器ケア、「臓活」が大事、なのだと。
田中麗奈さんが美しいのは最初からであり、腸活、臓活は当然ながら十分条件ではない。
「何もしてないよー」は虚偽かもしれないが、身についている習慣を含めての美人なのだ。
腹をねじる写真を撮るのに、110K円のパンツを履かされるのは、よくわからない。
同様に、高嶋ちさ子が元気なのはサプリのおかげではなく、元々のように思う。
最近、「若い世代が出てきたなー」と思っていた人たちが、40代になっていることに驚く、例えば、吉岡聖恵とか。
先日は「non-no」を読み、「大学生は、入学した時から気を張るものなのだな」と落ち込む。
「non-no」がアイヌ語で「花」の意味であると2025年になって知ったことにも、落ち込む。
「バラライカ」はロシアの弦楽器で、だから「きかせて」なのだ。
さて、ナンシー関・大月隆寛「地獄で仏」を読む。
「評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」を入手して読み直し、「そういえば対談集は全く読んでこなかった」と気づかされ、図書館で借りてきた。
2025年から見れば、「これは批評である」という観点をもってしても、まあ悪口ばかりが並んでいる、ように感じる。
デーブ・スペクターの発言の一部はもしかして当を得ていたんじゃないかと、人生初めてスペクター・コミュニケーションズの側に立つ。
こういうテイストなのは対談だからかな、とは思う。
思ったことを直で発言している、とまでは思わないけれど、やはり書いたものなら読み直すし、その前に書くまでにも時間を要するし。
対談は、相手との会話を形成することが必要条件になるので、まあこんな感じなるかなと思う。
いずれにせよ、その後の我々が気を抜いていたから、鈴木奈々の右往左往を見させられる羽目になったのかもしれない。
でも、こういうTV業界だからこそ、華原朋美の奮闘、みたいなのも見られたから、よかったとも感じる。
それでも、森口博子、森脇健児を心から面白がっている…、応援している自分もいて、「でも、それは芸能人である上での評価だからね」と言い訳している自分もいるのは、整理しきれない。
年を取ると、継続のすごみを知ってしまうからだろうか。
そして2025年は、なんと行儀のいい時代なのだろう。
1993年から1995年までくらいの対談が載っている。
忘れていることばかりなのだが、藤田朋子のことはまあそうかなと思いつつ、1990年中ごろの島崎和歌子もその位置だったけな、というのは自信がない。
1994年にはたけしさんのバイク事故があって、気を落としつつ「世間こぞっての心配」に違和感を持つナンシー関の様子が、「その立ち位置だな」と思う。
時期もあいまって、1995年の様子をうかがえるのは、感慨深い。
1995年の1月があって、3月があって、それ以降ずっと価値観を振り回される日々が続いた。
いわゆる多感な時期に1995年を経験したことで、その後の多少のざわつきは受け止められるようになった、というか熱をもって見ることがなくなった、ように思う。
僕の場合、1月と3月の間に自然気胸を発症し、1週間の入院を余儀なくされたのもあり、なおさら刹那を感じやすかったのかもしれない。
病床で見たTVの映像は、想像したことのない灰色だったし、3月に映像で見た防護服などが鮮やかで、その後のものの見方の水準を形成している。
「ザ・ワイド」の読売テレビ枠が自然消滅していったことが、「2時のワイドショー」世代の僕にはこたえて、平穏が失われたように感じた。
この本でもっともよかったのは、カズ山本選手が震災の後すぐに多額の寄付したことが取り上げられていることである。
1994年末の契約更改で年棒2億円に乗せ、翌年には1,000万円を寄付している。
1990年代のひねくれた文脈で育った僕としては、「寄進慣れしていたか」とでも言ってしまう。
そんなものをうち捨てる山本和範選手の実直さに、感涙する。
その年末には自由契約になる。
これも、1995年である。