翠光
田川を含めた筑豊を訪れるにあたり、事前に帚木逢生「三たびの海峡」を読んだ。
記録がないが、前回読んだのはどうやら20世紀のようで、内容は全く覚えていなかった。
史実を潜り抜け、ここにいるのが、人間である。
4時半ごろ、目覚める。
特にやることもなく、TVを見たり、TVerを見たりして過ごす。
昨日の「めぐみのラジオ」を聴きながら、身支度。
1階のパン屋が無料で提供してくれたパンを食べ、気持ちが落ち着く。
ホテルをチェックアウト。
天候は、晴れ。
改めてみても、変わっているようで変わっていない街並みである。
駅前の路地を抜け、風治八幡宮への参道を上る。
神幸祭を終えたばかりだが、落ち着いている。
「ここに来たことがある」という記憶はない。
宗教上の理由から、賽銭を投げ込むことなく手を合わせるだけで済ます。
椅子に腰かけ、いとこにメッセージを投げつける。
田川に来ています
何日もひたっていたい そんな気が一切しません
中でもお気に入りは 黒ダイヤの羊羹
黒いんですよ
一緒に墓の写真も送りつける。
「風治」の音が「封じ」につながるそうで、というかつなげたようで、それにちなんだお札がある。
父に「ボケ封じ」の札を買おうかと思ったが、こういうのを買って父が考え込むのも厄介で見ていられないので、「厄封じ」の札を選ぶことにする。
巫女と小粋な会話を交わし、1K円を奉じ、由緒書きとともに受け取る。
お守りも並んでいたが、売る場所を選ばないもののようで、大変だと思う。
昨夜のコンビニエンスストアを再訪し、水を購入する。
今朝も若い店員で、良い感じ。
ネット上の評価は何だったのか…、と店内を見ると、イートインスペースは荷物が積みあがっていて使えないし、利用者が使う流しにはラーメンの食べ残しがぶちまけられ、すでに乾ききっている。
これでは、松本まりかも浮かばれない。
線路下をくぐり、階段を上り、石炭記念公園へと向かう。
駅からだと上るのが厄介だが、上ってしまえば景色がいい。
田川市石炭・歴史記念館を訪れる。
受付で入場券を求めると、アンケートに答えるよう頼まれる。
「どちらから」「東京です」「わかりました」というやり取りの後、係員の手元の紙に「富山」と記入された。
もしかしたらアンケート結果をユネスコに提出するのかもしれず、虚偽があってはならないので、訂正してもらう。
スマートフォンで展示物の紹介音声を聞きながら、館内を回る。
声が奥田智子アナのように思えたが、後で調べるとこのシステムを手掛けているのがKBCの子会社であるようで、本当にそうかもしれない。
階上に進み、バルコニーで景色を眺め、香春岳を望む。
実家に香春岳を描いた油絵があるのだが、それと比べると、ずいぶんとへしゃげてしまっている。
僕が記憶している限りでも相貌は変わっており、子供のころの父をもってして「あんな環境破壊、していいんかね」と思っていたらしい。
手前にあるのは、ボタ山である。
近くにいた人たちの会話が耳に入り、「ボタちなんね」「石炭掘った掘りカスよ」「じゃあなんで木が生えとん、石炭やと栄養があるんかね」「そりゃわからんね」「ボタ山から出てくる水は石炭でろ過されとるけおいしかろうね」と異次元な会話が繰り広げられていた。
楽しみにしていた山本作兵衛翁の絵は、レプリカのみの展示であった。
「世界の記憶」に登録されている以上、厳重な保管体制を求められており、実物の展示は年2回に限られているらしい。
それに合わせて再訪するのもありだが、こないだ八王子で十分に見たので、その機会は訪れそうにない。
炭都としての栄華は、先ほどバルコニーから見渡した現在の街並みからはみじんも感じられない。
僕が子供のころですら、その雰囲気はなく、ときどき語られる昔話に残すだけだった。
なぜ山本作兵衛翁の絵が「世界の記憶」として認定されたのか、を解説するビデオ上映によると、「公ではない視点」による記録であることが高く評価されているようだ。
「虚飾」もないし、「なかったこと」にもしていない。
政策や資本家からの視点ではなく、それゆえ公式資料には残りにくい実際の記録となっている。
失われた生活そのままを記録しようとした志は偉大であり、実は「誰にでもできること」であることを改めて認識し、我々は実直に実行する必要がある。
竪坑櫓を見た後、喫茶店を地図で見つけ、坂を下り、団地が立ち並ぶ敷地内の店に入る。
チェッカーズを思わせる店主が、コーヒーを選ぶよう促す。
浅煎りで酸味のある味のコーヒーを好むことをお伝えし、ルアンダという豆を薦められ、マフィンと一緒にオーダーする。
コーヒーの味は普段口にするのとはずいぶんと変わっていて、最初の飲み口は紅茶のようで、最後の方は味わいが変わってくる。
マフィンがおいしくて、もう1つ頼んでしまった。
どこから来たのかと問われ、さっきの回答を繰り返し、「でも、30年前に祖父母が住んでいて、田川はそれ以来」のようなことを返した。
気にしすぎなのかもしれないが、なんとなく、相手の表情が曇ったような気がした。
「すっかり変わってしまったでしょう」みたいな話になり、まあ同調する。
バスもなくなり、ターミナル会館は閉鎖され、商店街はシャッターだらけ。
「あそこのコンビニ、元は寿屋がありましたよね」と尋ね、ちょっと場所が違うことを教えてもらった。
「それでも、若い人もいるんでしょ」などと水を向ける。
とても雰囲気のいいカフェだし、さっきから訪れる客も若い親子連ればかりだったからだ。
店主はうつむき、高齢者が人口の3分の2を占め、市の財政は厳しく、健康保険料などが高い、などの話をする。
「駅舎ホテルに泊まった」という話をしても、JR九州は駅舎を市に売ってしまったし、入っている店はなぜか日曜休みだし、などと言う。
要するに、何もいい話がない。
この店はとてもいい店だし、珍しいコーヒーを飲ませてくれるのに、というより、なぜここで店をやっているのか、という昨夜と同様の疑問がよみがえる。
時間となり退散する際に、屈強な男4人組が客として店に入ってきた。
さらに坂を下り、線路の下をくぐる。
前に中学生のような男4人組がいて、僕の存在に気付くと、何かを捨て、その上に唾を垂らした。
近づいてみると、火を付け口にくわえていたものを捨てたようだ。
21世紀ももう4分の1を過ぎようとしている時に、このような風景に出くわしたことに驚き、そんな自分に驚く。
現金できっぷを買い、無人の改札を通る。
これから、平成筑豊鉄道伊田線に乗る。
料亭あおぎりと思われる建物を窓外に見て、車両は彦山川の左岸を進む。
立派な複線であるゆえ、新設駅のプラットフォームは両側に作らなければならない。
田川市立病院駅に昔の香春岳を描いた壁画があって、それが背後にある現在の香春岳との対比になっており、なかなか面白い。
左から糸田線が近づいてくる。
単線の糸田線は合流することなく、伊田線とともに三線を保って金田駅に至る。
この車両は金田駅止まりで、直方行きの車両の発車時刻まで少しある。
これはラッキーと、金田駅にある平成筑豊鉄道本社の建物へ向かう。
ちくまるのグッズが本社で売られている、とのことだったが、この日は日曜で、本社は閉まっていた。
乗り場に戻り、運転士にも尋ねてみたが、やはり今日は休みで、ちくまるグッズは売られていない。
「グッズは通信販売でも手に入るんですよね」と一応言い、納得した振りをする。
仕方ないので、ちくまるのLINEスタンプを購入した。
これが初めてのLINEスタンプ購入である。
金田を出て、中元寺川を渡ると、意識していなかったが、山がちになる。
といっても、切通しになっていて、祖父はよく、時刻表に合わせて跨線橋まで僕を連れていき、切通しを走る列車を見せてくれたものだ。
この線路を、最盛期は石炭を積んだ50両ほどの貨車を引っ張る機関車が走った、というのは父親の談。
多くの客を乗せた「ことこと列車」が、またすれ違う。
いろいろあって、列車は遠賀川を渡り、左側から筑豊本線が近づいてくる。
筑豊本線も複線であり、見事な複々線が続き、そのまま列車は直方駅に到着。
昔は、小倉から折尾の短絡線を通り、直方で伊田線に入り、田川伊田から彦山経由で日田へ、などという列車があったのだが、今はそんな想像を許さないほどの大きな車止めがある。
直方駅を建て替えてから初めての訪問であり、昔の駅舎の記憶もないし、今の駅の風景に愛着も感じない。
駅前はアーケードになっている。
小学生のころ、祖母に連れられて直方に行った際、ここで小学校の同級生に出くわしたことがある。
今、アーケードの入り口にはもち吉の店ができている。
その昔、直方には「見番」などもあったようだが、現在その雰囲気を感じられるのは銀行などのレトロな建物である。
長崎街道を歩くと、「甘酒まんじゅう」ののぼりを見つける。
たまらず店に入り、一口サイズの饅頭を数種類購入。
紙に包んでくれる懐かしいスタイルだった。
店主がシートで包装された饅頭を手づかみで取っていたけど、当時ならきっと気にならなかったと思う。
以前は確かダイエーがあり、今は閉まっているのだが、跡地を見たくてそちらの方へ足を向ける。
ポスターが多く貼ってある一角があって、眺めていると、声を出して驚く。
そこにあったラーメン屋の名は、僕が中学生のころからよく行っていて、帰省の度にも訪れ、最近になって長い歴史を閉じてしまった、小倉の名店である。
先代の店で働いていた人が、直方の地で二代目として店を出しているようだった。
にわかに信じられなかったが、ものすごい偶然である。
時間も限られているので、小走りで進み、店へとたどり着く。
まぎれもなくあの店風ののれんをくぐり、迷いなく入店、ワンタン麺を頼む。
少し待ち、ワンタン麺が届けられる。
食べる。
うまい。
たけのこの細切りも添えられているし、ワンタンもあの味である。
以前の店が閉まった後、別の場所で後を継いだ店があるとは聞いていたが、そして小倉にも後継店があると「地球の歩き方」にも載っていたが、偶然歩いた直方で店を見つけたのは、本当に運がいい。
当初の予定とは反対方向に歩いたので、少し急ぐ。
福岡までの延伸を望み高架になっているらしい、筑豊直方駅に到着。
階段を上り、乗り場へ着き、電車に乗る。
少し経って出発。
気を抜いていたのか、渡ったはずの遠賀川を見逃す。
車にディスプレイにある「昼割全線フリー定期券」が、乗車か降車いずれかが対象時間帯にかかっていればいいらしく、判定の仕組みが気になる。
実はこれが初めての筑豊電気鉄道で、黒崎駅前までの全線を乗ったことにより、これでようやく北九州市内の鉄道完乗を果たす。
ずいぶんと長い時間がかかったし、たぶん北方線には乗ったことがないと思う。
黒崎駅に来るのも、20年ぶりくらいだろうか。
でも、「なんしよっと」や光石さんの映画やドキュメンタリーを見ているせいか、駅前の既視感が強い。
小倉でもなじみのパン屋で土産を買って帰ろうと思ったが、店先で誰かがもめているので、やめておいた。
nimocaグッズは見つからない。
電車の時刻に合わせて急いだが、鹿児島本線は10分ほどの遅れ。
車窓から見える黒崎バイパスはよくできているものだと思う。
枝光駅から山へと延びる一直線の坂は、今では名前がついているらしい。
河原をよく見たけれど、もう落ちてはいないようだ。
実家に到着。
父親がホークス戦のTV中継を見ていた。
今日はロバート秋山が始球式に臨んだらしく、和田が5回まで投げ勝利投手の権利を得たが、9回でヘルナンデスが打たれて同点、延長に入るが、放送時間内に試合が終わらなかった。
これで父が不機嫌にならなければいいが、と思い、ラジオ中継でも聞かせようかとしたが、やめておいた。
中継後は「笑点」。
山田雅人が「長嶋茂雄物語」を演じる。
大喜利の答えに母親が声をあげて笑うのに、ショックを受ける。
そのくせ、一之輔の答えでは全然笑わない。
自分の将来が不安になってきた。
ニュースによると、東京は突然の降雨で、羽田空港の離着陸に影響が出ているようだ。
酒宴。
カニ、ローストビーフ、海苔巻きなどをいただく。
もちろん、刺身もある。
父親に薦められている治験の話がされ、一応反対意見を述べる。
もっとも、僕の意見が採用されるのは、パソコン周りの話だけである。
田川での体験を披露し、「家にいても何も起きないから、旅行に行って不都合を経験するといいですよ」と言ってみるが、この意見も当然ながら一蹴される。
おいに修学旅行でどこに行ったかを尋ねたが、「覚えていない」と答える。
「何たる情けないことか」と場は盛り上がったが、よく聞いてみると、おいにとって修学旅行とは、どこに行ったかではなく、誰と行ったかが重要のようである。
情けないのは、今も昔も変わらない僕の方である。