任地
4時30分、起床。
あまりにもばかばかしいのだが、それくらいしないといけないほどに遠い。
シャッフルは、土岐麻子「Talkin'」。
「眠れる森のただの女」が何言っているかわからなくてとても好きなのだが、ウェブサイトで評をさらうと、中年男性の不気味なコメントばかり拾えて、自分のそれにカウントされていることに吐き気がする。
藤井聡太は、ひとまずしのいだ。
電車の乗客は多い。
目の前にいるのは慶応の陸上部らしく、服に「no luke no life」と書いてある。
土曜の朝だからか、プラットフォームに座り込むスーツの面々も見るようになってきた。
浜松町駅で降り、東京モノレール。
まともな理由で空港に行くために東京モノレールに乗るのは、かなり久しぶりだと思う。
乗車時間は短いのだが、結局空港快速に乗ることになるから、待ち時間がある。
第3の後の第1、第2は、誤降車を招きそう。
聞いているラジオ番組では有吉弘行が、元宝塚女優の詐欺騒動についてコメントしている。
「少ないパイを取り合っている」と言い、「自分も同じようなことをしてしのいでいた」と展開する。
大井競馬場では、すでに馬の調教が始まっている。
羽田空港第1ターミナルに到着。
コンビニエンスストアでたまごサンドを購入。
空港の出発ロビー階にコンビニエンスストアは出店してはならない、などという法律があるのかもしれない。
今回はアプリでチェックインし、画面のQRコードで保安検査場を通過。
飛行機の乗り方はいつ進化をやめるのだろうか、僕は将来出国できるのだろうか。
搭乗ロビーで350ml缶を購入し、人気のない場所へ移動し、クリニックの広告が流れている画面の下で缶を開ける。
スターフライヤー。
機体番号を確認しようとするが、眼鏡の度があっていないらしく、右目がよく見えない。
恐れてはいたけれど、新型機ではなく、パーソナル画面があって安心。
機内はほぼ満席で、隣席は何かのファンでライブに赴くらしく、スマートフォンを機内モードにしてくれない。
動き出してやけに長いなと思っていたら、どうやらD滑走路。
非機内モードにもかかわらず、計器は順調に稼働。
映像コンテンツには満足しがたいところがあり、「きんに君のパワー旅」で国東しいたけの情報を得る。
他に、現北九州市市長が男2人を引き連れて、飲食店で食レポ、という、ふるさと納税よりも選挙権を行使したくなる番組があった。
音楽もなく、機内誌もないのが、不安。
北九州空港に到着、天候は晴れ。
1階のコンビニエンスストアで、「18-36」となっている、北九州空港の滑走路マスキングテープを購入。
小倉駅行きの高速バスは満席で、次の便を待つように告げている。
わけあって、僕は初めて、朽網駅行きの路線バスを選んだ。
このバスでも行列ができている。
新しく作られた高架を通らず、交差点に向かう刹那、急に空腹に襲われた。
と同時に、看板が目に飛び込んでくる。
さっき確認したところ、朽網駅に向かう路線バスは約30分間隔で運行している。
たちまち降車ボダンを押し、交差点を右折し、少し行ったところにある停留所で降りる。
道を引き返し、うどん店へと入る。
店内は、この時間なのでほぼ空いているが、さすがの「朝うどん文化」である。
タブレットでの注文になっていて、かけうどん、かしわおにぎり、しそおにぎりに、トッピングでハーフゴボ天、丸天を頼む。
入力を終えたタブレットは、アナゴを紹介する営業担当か仕入れ担当の中年男性の顔が映るようになり、僕だけだと思うけれど、不快である。
タブレットで、どうやっておでんを頼むのだろう。
ほどなくして、注文したものが届く。
自分のとっさの英断に、というよりうどんの味に感激する。
肉うどんにすると味が混ざるのが苦手で避けており、最近は丸天の揚げた感じを味わいたくて、別皿にする技を覚えた。
これだけ頼んで770円なのだから、感涙である。
計算通り、というか時刻表通りにバスが来て、朽網駅へと向かう。
多分初めてだと思うし、住んでいた当時から「何もない」という触れ込みだったが、今も十分な「果て感」である。
ここからとか、足立山の裏とかから、朝課外のために通勤していたのかと思うと、申し訳なくなる。
そして、こんなところで知り合いにでも会うことになったら、と恐れる。
下り列車に乗って、10分程度で行橋駅に到着。
行橋には子どものころ、祖父母に海水浴に連れて行ってもらった。
あの頃は、駅はまだ高架ではなく、駅前には商店街があって、人がたくさんいた。
田川から確か35番のバスが出ていて、それで行橋まで来て、長井浜の海水浴場まで行ったのだと記憶する。
こう書いていて、記憶が間違っているのではないのか、と思うくらいの感覚がするほで、記憶の雰囲気と異なる。
小学2年の時の担任が行橋に住んでいて、使用済みの通勤定期券を不憫な僕にくれた。
確か1か月定期で、僕のような変わった子どものために、1か月ごとに定期券を購入していたのかもしれない。
小学生の頃の、教師との心温まるエピソードと言えば、この時の担任の先生とのことしかない。
念のために添えるが、1年の時の担任には、心温まるエピソードがなかったが、お世話になった。
当時からそうだったが、今でも行橋は小倉の通勤圏内であるようで、駅前に高層マンションが建っている。
人がにぎわっていたはずの駅前通りを進む。
通りを歩く人はほとんどいないが、車は多い。
交差点を曲がり、細い道を進む。
たたずまいの良い飲食店があり、当初の予定であればここで昼食となっていたはずだが、さっきうどんを食べたので、見送る。
アーケードのある商店街は、店がほとんど開いていない。
味わいのある建物がいくつか並ぶ。
今歩いている道は、地図によると中津口から伸びる中津街道のようである。
行橋は、大橋と行事の合成地名だが、大橋宿がここに設けられており、川の前には大きな飴屋があったそうだ。
道を進み、行橋市増田美術館を訪れる。
地元の実業家のコレクションが展示されており、横山大観などの作品があった。
興味を引いたのは、山下清による陶器に絵付けされたトンボである。
暑い。
国道201号線を進み、モスバーガーで休憩。
行橋でモスシェイクを飲める時代に、乾杯。
行橋駅に戻る。
高架下はJR九州の商業施設のようで、開いていたり開いていなかったりしている。
ディスプレイには西九州新幹線開業の様子が映されており、ここまでやられると、無辜の市民を動員し同じようなことを押し付けてくるような気がしてくる。
現金できっぷを買い、改札を抜け、高架ホームへの階段を上り、稼働しているのか不明な中間改札を抜ける。
平成筑豊鉄道の乗り場には、ちくまる君がラッピングされた車両が止まっていた。
車内の座席も、ちくまる君柄の布地である。
平成筑豊鉄道田川線には、少なくとも30年は乗っていない、と思う。
僕は、大都市近郊区間の大回り乗車を自力で「発見」し、小学4年で実行した。
その時の経路の1つがまだJRであった田川線で、確か行橋駅でかしわめしの駅弁とJNR編集の時刻表を買った。
1時間に1本の気動車が出発し、日豊本線に別れを告げ、今川沿いを進む。
思っている以上に平地が続き、直線的な線形である。
新設駅は対面式ホームが貼り付いているだけの構造である一方で、昔からあった駅の作りは仰々しい。
油須原駅でコトコト列車とすれ違う。
どうやら盛況のようである。
今はトロッコが走る油須原線を確認し、今は閉業している柿下温泉を過ぎ、田川へと山を下りる。
途中から化粧をした女子中学生が乗ってきて、車内で音楽を鳴らし、運転士にたしなめられていた。
彦山川を渡り、田川伊田駅に到着。
広い駅構内は、「男はつらいよ」の志穂美悦子出演作でも確認できる。
乗り場の様子は僕の子供のころと、つまり映画に映っている様子と変わらない。
駅前に出るが、道路だけは変わっていないが、他のものはほとんど変わっている。
子どものころ、駅前の甘栗屋で甘栗を買ってもらったのだが、もちろんなくなっている。
父親についていった病院はまだある。
コインロッカーを探したが、案内図にはあるものの、そこにはない。
荷物を抱え、タクシー乗り場に行く。
運転手が別の運転手と話していて、しばらく気づかれなかった。
事前に母親に十分確認していたので、運転手に寺の場所を伝えるのに難儀はしなかった。
最後に田川を訪れたのは約15年前。
その時は今向かっている寺に行っただけで、わずかな滞在だった。
事実上、田川に来たのは祖父母が住んでいた頃以来であり、およそ30年ぶりである。
向かっている寺へも、当時は路線バス1本で行けたはずだが、廃止された。
30年前と道は変わっておらず、ところどころ思い出す一方で、子どものころとは距離感が違っていて、思っていたよりもとても近く感じる。
寺に到着。
ここでも寺のサイズ感が小さく思える。
母親から言われたとおり、母屋に行き、呼び鈴を押す。
出てきた人に、「納骨堂をお参りさせてください」と言い、祖父の名とともに自分が孫であることを伝える。
名前を言ってどうなるものか、と思っていたのだが、話が通ったらしく、納骨堂に案内される。
祖父が死んだ直後以来、納骨堂に来たのは初めてである。
祖母の葬式にも行けなかった。
これでどうにかなるとも思えないが、ひとまずやることはやった。
母屋に戻り、ごあいさつ。
「よくお孫さんの話をしていた」と祖母についての話をうかがう。
さっきは祖父の名を口にしたが、よく考えれば、寺の活動を熱心にしていたのは祖母の方だった。
祖母は、人の世話を焼く人であった。
僕は、祖母には結局10年以上会っていなかったわけで、最後に会った時には僕のことを認識しているようには見えなかった。
祖母の記憶が他者の中に残っていることは、純粋にうれしい。
待たせたタクシーに乗り、通ったことのない道を進み、もう1つの目的地へ。
料金はPayPay支払いが可能、とのことで、チャレンジしてみる。
QRコード読み込みで支払うと、決済番号の末尾4桁を言うよう頼まれる。
どうやら、その番号で決済と紐付けているようで、もう大変である。
墓に参る。
これまで気にしてこなかったが、改めて墓名標を見ると、祖父、祖母の名とともに、祖父の母親の名前がある。
その他の名前はなんとなくはわかるものもあるが、よく考えたらここに刻まれてもいい名前のいくつかがない。
しばらく考えてみたが、なぜこの墓を僕が継承していかなければならないのか、その道理がわからなくなってきた。
わからなくなってきたが、僕が現状追従主義なので、流れに乗っていくことにする。
それでも、難題が多い。
遠くに見える中学校、ニュースで見た気がする。
とにかく、これで心残りの1つが解消された。
日田彦山線に乗れば、1時間で小倉に帰ることができる。
ものすごく帰りたい。
でも、まだやることがある。
春日神社に寄る。
大晦日の夜、父に連れられて初詣に行った記憶がある。
田川の真夜中を30分ほど歩いて行ったのだから、怖かった。
裏に続く敷地が後藤寺小学校で、山下洋輔が一時期通っていた学校である。
坂を上り、交差点。
歩道橋があった気がするのだが、撤去されたようだ。
ここを曲がるとマクドナルドがある、との看板があり、隔世の感がある。
ターミナル会館のたたずまいは変わらない。
ここでドラえもんの大長編を何度か見たのが、信じられない。
バスがたくさん出ていて、ここから篠栗なり、英彦山なり、行橋なり、寺なり、父の実家なり行き、小倉へと戻った。
井上陽水はここからバスに乗って、田川を出たのだという。
他に、IKKO、バカリズム升野、バイきんぐ小峠を輩出したターミナル会館である、たぶん。
アーケードはやはりシャッター通りとなっていて、人通りがあったころが夢のように思う。
人気がないのが「怖い」という気持ちよりも、懐かしさの方が強いものだ。
おもちゃ屋や書店がまだあるのが驚きで、パスタ屋は閉まっていたが、調べると移転したようだ。
バス停で確認したら、福岡から来る高速バスがあり、それに乗ればいいようだ。
でも、時間もあるので、祖父母の家があったところまで歩くことにする。
さっきも言ったが、道は変わっていないし、建物もほとんど変わっていないように感じる。
人が歩いていないだけだ。
祖父母の家もまだあった。
上り坂を進むと、寺がある。
ここでやっていた夏祭りに、祖父母が連れて行ってくれた。
ヨーヨーや、発光する眼鏡を買ってもらった。
地図によると、この道は秋月街道のようである。
街道の役割を今は国道322号線が担っているのだが、国道は台地の高いところを通っており、よく見ると田川も高低差のある土地だと知る。
伊田に向かって下っていくと、神幸祭にかかわりがあるのか、民家の軒先に飾りが吊るされている。
道の先が開け、香春岳が見えてくる。
伊田線の踏切を渡ると、アーケードの入り口で、アーケードが二股に分かれている。
よく見る夢に出てきた、二股アーケードの風景に似ていた。
ここを何度も通っていたのは間違いなく、この場所が夢の元だったとは思ってもみなかった。
田川伊田駅まで戻ってきた。
今夜は、ここに止まる。
駅舎がホテルになっていて、まるで東京ステーションホテルのようである。
ここがなかったら、僕は「田川に泊まろう」などという気を絶対に起こさなかったであろう。
フロントで説明を受け、クレジットカードで決済をする。
質問を乞われたので、「建物内のレストランで食事をとるつもりですが、可能ですかね」と尋ねた。
レストランは別の運営のようで、明確な答えは得られなかった。
入った部屋はダブルで、トイレとシャワールームは共用である。
少し休み、KBCで小鹿アナが何かしているのを見て、レストランに行く。
店に入ると、客が驚いている様子。
どうやら貸し切りにしているらしく、店員にも確認し、同じ答えを得られた。
これは困った。
地図アプリで飲食店を探す。
いくつか店は見つかるものの、地元ではない人間が入れる店なのか要領を得ない。
後から振り返ると、知られているようなチェーン店も一切なかった。
駅前にスナックがあることは子供のころから知っていて、その前を通ったが、とても入れる雰囲気ではない。
途方に暮れ、さっき前を通った焼鳥屋に入るか、でも客と店員が大きな声で話していたな、でも仕方ない…、と覚悟を決めようとしたとき、アーケードに雰囲気のある店を見つけた。
店の名前が読めないのだが、ここは意を決して、扉を開ける。
客席はカウンターだけで、先客はなく、一人であることを店主に告げ、右端の席に座る。
どう見ても昔からある店ではなく、何かの店舗の跡を改装したようだった。
結果的に、この店はかなり当たりだった。
ささみ刺しとイカの丸焼きを頼み、ビールを飲む。
焼きシイタケにクジラのおばいけを頼み、芋焼酎をいただく。
最後にもつ鍋を頼み、別の芋焼酎をいただく。
締めのちゃんぽんまでいただいた。
入店してほどなくして、若い男性2人組の客が隣に座った。
場所だけに多少身構えたが、明るく気さくな人たちだった。
店主との会話を聞くと、今日は土曜なのに客が全くいないのだという。
鍋と焼酎ロックがとてもあっていて、すいすいと進む。
なぜ田川でこの店をやっているのか、各地の珍味を取り揃えているのか。
それはわからないが、とても興味深い店で、ありがたかった。
気分よく歩くが、緊張感を切らしてはならない。
田川に来る前に調べたのだが、駅近くのコンビニエンスストアの評判があまりよくない、というより、これでいいのかというほどに評価が低い。
そうは言っても大手コンビニなのだから変なことにはならないだろうと、意を決して向かう。
広い駐車場はほぼ満車で、また憂鬱になったのだが、店内はなぜかほとんど客がいない。
それはそれで恐ろしいことなのだが、店員は事前に調べた評判とは異なり、若い女性2名である。
福岡県立大学の学生がアルバイトをしているのではないか、と察する。
酒を何本かかごに入れ、会計も滞りなく処理され、もちろんコンタクトレス決済もできた。
駅舎ホテルへと戻り、まだ誰も使っていないシャワールームを使う。
TVではテレビ朝日で「ほぼブラタモリ」がやっていて、チャンネルを変えて、音を出さないで「花咲舞が黙っていない」を映す。
今田美桜の目が大きくて、ほとんど瞬きをしないことに気付く。