曇天の続き

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2024-03-31 Sun.

服膺

2024-03-31

春は別れの季節である。

先ほど、田中麗奈さんともお別れした。

TOKYO FM「キュレーターズ マイスタイル×ユアスタイル」が最終回を迎えたのだ。

正直言うと、ほとんどの回を聴いてこなかった。
キュレーターズのトークが番組の主であり、田中麗奈さんの出演はほとんどなかったからだろうか。
それでも耐え忍びながら時々聴いていたのだが、ナビゲーターによるキュレーターズの紹介があまりになじみのない肩書きで、いたたまれなくなったとともに、トーク内容は僕のステージではとても理解が及ばない高尚なものだった。

番組のナビゲーターを6年務めたらしく、その間産休もあったはずだ。
「番組の内容が自身のプラスなっていたらいい」というのは、お互い様だと思う。
その昔、ハートをもらったことで、僕はここまで潜り抜けてきた。

「ブキウギ」も終わった。
「それはこっちのセリフだよ」みたいなことを言っていた気がする。
僕は朝ドラにはついていけない体になっており、そうですか、と思った。

4月からは、NHKドラマが始まる。
これがまた、キャラクタービジュアルが考えられないくらいにかわいく、バーチャル世界から抜け出せなくなる恐怖がある。

そして、「ZIP!」の4月金曜パーソナリティに就任。
「ZIP!」を見たことがないので、どのような形で出るのか僕にはわからないのだが、見ているこちらが朝からやられて、外の現実に出たくなくなる恐怖がある。

ここで、読んだ本の紹介を。
広末涼子「ヒロスエの思考地図 しあわせのかたち」。
2022年4月発行。
COVID-19はこのようなものまで産むほどに憎いものか、と言葉を失う。

哲学者の言葉をヒロスエなりに取り上げた内容。
帯には「しないほうがいい経験なんて、ひとつもない。」とある、これは笑いをねらっているわけではない。
中身を一つ一つ取り出すと、今となってはそれぞれでオチを付けられるわけで、きりがないし、みっともない行為なので控える。
長男が幼稚園の時に急性腎盂腎炎を発症したらしいが、その時激痛が走るきっかけとなった「旦那のハグ」の旦那が誰なのかを知りたくなるのも、実に下世話である。

僕は「自分を大事にする人間」であり、自分が優先順位第1位であり、ほぼ自分のことしか考えていない。
「そんなことない!」と途中まで思いこむように自分を仕向けてきたが、それはただ世間体を気にしていただけだった。
何もかも捨てて認めてしまえば楽だし、実は周囲に迷惑をかけることも減ったように思う。
孤立している人間は、自分が叶えてあげられない他人の幸せを願っている、別の他人を押しのけて利益を得ようとする人間以外の。

一方で、この手の本を読んで苦手に思うのは、「自分と仲間が大事」というポリシーである。
「仲間を守る」ということで正当性を表し、仲間以外の人たちのことは気にしない、ということが暗に示されている。
そして、この主張は美しく、なかなか覆らない。
どんなに世間の不評を買っても、自分の行為を肯定してくれる仲間が必ずいて、それを力に営みを続けている。

もしかしたら、広末涼子の行為の方が、ナチュラルであり、人間らしい姿なのではないだろうか。
誰もが認める通り、2023年の最高文学賞は、広末涼子がつづった愛の短編集である。
あの手紙をもらったら、僕ならすんなりと現実を捨てる。
すべてを捨てた後の自分が手紙の送り主からすぐに捨てられる、というたやすい未来予測からも目を背けるだろう。
もはやあの手紙は当人たちから公表したのではないか、とすら思う、芸術作品として。

鳥羽周作の家族のことなど、彼女は一切気にしないだろう、とこの本を読むと確信する。
相手の家族は、自分の仲間ではなく、外側の人間である。
どんなに非難されても、仲間はきっと彼女を支え、肯定してくれる、そしてその自信に満ち溢れている。
今の仲間から見放されることになっても、支持者をいとも簡単に見つけることができるだろう。
そのうち、パートナーも外側に追いやられる。
広末涼子は、哲学者の言葉を糧にし、インスタグラムで発信し、そして誰かが公式ウェブサイトを作ってくれるのだ。

そう、要するに、うらやましい、手紙ほしい。

「魔法のキモチ」を見て以来、僕にとっての「ラストアイドル」はいつまでも魅力的で、ゆるぎない。
どこかで言った気がするが、タモリさんにとっての吉永小百合の位置のようなものが、実にうらやましい。
最初の選択を誤ると、一生引きずる。
これで「魔法のキモチ」のソフト化は、永遠になくなったのかもしれない。

さて、松本みつるさんも、今月でニュース読み終了。
おつかれさまでした。
青木裕司先生も、「アサデス」レギュラー出演を終了したらしい。
僕にとって初めての「有名プロ講師」で、センター試験の世界史レベルであってもそのレベルに合わせて丁寧にご指導いただいたし、実際プロフェッショナルとしての姿を直接お見掛けしたこともあった。
こちらも、おつかれさまでした。

さて、「世界ふしぎ発見」も終わり、「サンデーモーニング」も番組から関ロ宏が卒業した。
いろいろと言う人もいるものの、事実として、僕は「ザ・ワイド」を見てきたし、関ロ宏にも視聴者として「あっぱれ」では言い表せないほどにお世話になった。
控えめに言って、「世界ふしぎ発見」を黒柳徹子のキャリアが超えていくことは驚愕であり、とても当然のこととは思えない。
そして、「将来はミステリーハンターになりたい」などという、現存する職業に就く夢を目指してはならない。
「笑点」の木久扇師匠の出演も今日で終わり。
春風亭一之輔が出演するようになってから初めて見たが、一之輔が番組に迎合している感じがせず、面白いことを言っていた。
木久扇もまだまだ面白く、好楽が何を言っているのかよくわからなかったが、そもそも好楽さんももう十分な歳であり、出ているだけでもすごいものだと思う。
小遊三も文句なしで面白いし、「ちびっこ大喜利」を出してくる山田隆夫はずるいというか、厚みに泣けてくる。
「笑点」のターゲットこそ話し言葉にテロップが必要と考えるべきなのに、テロップを出さないのであれば、他のどの番組もテロップはいらないのではないか。
少し前には「世界一受けたい授業」も終わって、これまでほとんど見たことがないにも関わらず、最終回を見ていると、マチャアキの姿に涙してしまった。
気付けば「ブラタモリ」のレギュラー放送も終わっている。
一時期、最も過酷なロケ芸人の1人ではないか、と思わせてくれたタモリさんには、こちらも当然ながら感謝しかない。
いつかは「ミュージックステーション」の司会も終えられることになる。
後任は、関ロ宏でいいんじゃないか。

つい最近偶然にも幸運にも「植木等デラックス」の何回かを見る機会があった。
放送当時、僕はこの番組の意味がよくわかっていなかった。
記録を残すということを考えた人たちの偉大さに、30数年かけて触れることとなった。
あの時でも、植木等は60代だったのだから、先日の「まる見え」のことを思うと、本当に恐れ入る。
「いつまでも居座っている」みたいなことを言う視聴者も散見されるが、逆に視聴者である僕がいつまでもすがり続けるのが間違っているのではないだろうか。
「欠かさずに見ているTV番組」が、結局「アタック25Next」と「サザエさん」だけになった。
そして、長野智子には、「植木等デラックス」での自身のふるまいを振り返ってほしい。

「植木等デラックス」に、「乾杯!トークそんぐ」の雰囲気を感じる。
以前、「乾杯!トークそんぐ」のパロディを中川家がコントにしていたのをTVで見たが、出演していた椿鬼奴が「関西に住んでいたら絶対に見ていた」と興奮していたのに、僕は強く共感した。
福岡では日曜深夜に放送していたと記憶しているが、僕も何の力に導かれているかわからないまま積極的に見ていた気がする。
椿鬼奴は「劇団椿」で大衆演劇を始め、「しばらく楽しめるものを見つけた」とのコメントをしており、ものすごくうらやましく思う。
毎日放送には頭が下がるし、「いい朝8時」視聴者世代として、野村啓司アナウンサーへの弔意もここに表したい。

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