活性
現金への執着が薄れている。
「金」ではない、「現金」である。
「金」はほしい、ありすぎても全く困らない。
しかし、「現金」は困る。
1億円を竹やぶに捨てた人がいたが、その気持ちが少しわかるようになった気がする。
先日も、あるきっかけで一万円札を受け取ることがあった。
後日、おぼろげながら一万円札を受け取った記憶がよみがえり、でも手元にはなく、どうしたのかと記憶をさまよった結果、洗濯したズボンのポケットに入っているのを見つけた。
以前だったら絶対にこんなことはなかった。
忘れっぽくなっているのと、「現金」への執着がなくなっていることの、合わせ技だ。
見つかった一万円札はくしゃくしゃで、少し小さくなったように思う。
もっとも、近頃一万円札などめったに手にせず、手元に他の一万円札もないので、サイズが変わっているかもよくわからない。
アイロンでしわを伸ばそうか、あるいは百科事典でプレスしようかと考え、やはり銀行に持っていくことにした。
気が進まないけど、こういう時に頼りになるのはやはり銀行である。
そういえば、通帳を持っていない。
時代に乗じて、通帳を廃止してもらったのだった。
この一万円札を窓口で口座に入金してもらうには、どうしたらいいのだろう。
文明病にはウェブ検索、調べたらキャッシュカードを持っていけばいいそうだ。
12時手前。
1階に並ぶATMを横目に、2階へと階段を上る。
近くに支店があったのだが、数年前に閉店しており、いや閉店はしてなくて移転した。
この建物には、同じ場所に支店が4つある。
階段を上ると、さっそく行員が近づいてくる。
「今日はどういった御用で」
「4Mドルほど融資してくれないか、預金金利の3倍の利子を支払う、50年後に返す」と言いかけたが、無駄口をたたくのも惜しいので、くしゃくしゃの一万円札についてありていに述べた。
「すると、ATMでも入金できなかったのですね」
「いや、この紙幣でATMが詰まったりすると申し訳ないので、いやそもそも自分が悪いんですが…」
「お気遣いありがとうございます」
慇懃な態度には限りなく下手で、を徹底する。
行員に番号札を取ってもらい(自分でも取れるのだが、先に取られた)、記入用紙を受け取り、台で必要事項を記入するように促された。
書いて、椅子に座っておとなしく待つ。
少し混んでいて、呼ばれるまであと5人。
待っている客は僕より年配の人ばかり。
途中、「遺産の相談で予約している鈴木ですけど…。鈴木で予約がない? そんなはずはないでしょ! いや、佐藤で予約していたんだった」という老夫婦もいて、縁遠い世界に来てしまったと思った。
ポスターで手形交換所の閉所が知らされていて、これからは電子取引と並行して、手形を画像として取り込んでそれをもって交換をして、電子的に処理をするのだという。
目の前が白くなってきた。
15分くらい待って、呼ばれる。
番号札を渡し、用紙を渡し、キャッシュカードとくしゃくしゃの一万円札を渡す。
「しばらくお待ちください」と赤いプラスティックの番号札を渡される。
まだこの番号札あるのか、母に連れられた福岡相互銀行、家の近所支店で40年前に見たシステムだ。
目の前では、若い女性が電話で話し、窓口の行員とやり取りをしている。
何をしているのかは、まったくわからない。
10分くらい待って、再度呼ばれる。
番号札を渡すと、キャッシュカードと紙1枚が渡される。
1万円の入金証書とのこと。
自分の不手際でこんなにも手を煩わせることになったのは、本当に申し訳なく思う。
帰宅して、改めて入金証書を見ると、200円の印紙スタンプが押してある。
この入金証書を発行するために、200円の印紙税が収められているようだ。
調べてみると、1万円以上の入金額が記された証書には印紙税が課税されるとのこと。
ATMの入金票には残高のみで入金額の記載が省略されているが、あれは印紙税の回避のためなのかもしれない。
昨今の通帳廃止も、印紙税節税のためと聞く。
自分の不手際で、相手に手間をかけさせたばかりか、税負担までさせてしまった。
そもそも、印紙税とはなんだろう。
課税の理由などあってないようなものだが、印紙税発祥の地オランダでは、時代にそぐわないとして印紙税を廃止したそうだ。
実際、本国でも電子契約だと印紙税の納付はいらないようだ。
でも、これは不公平だと言って、電子契約にも印紙税を課そうとする動きもあるそうだ。
どういう立場の人間が口にしているのだろう、本当、欲深い。
もちろん、「洗濯して使い物にならない証紙を、金を負担させてまでして引き取らせた」人間が言うことではないことはわきまえている。