空車
2020-04-01
今日から新年度。
電車内は、ウソみたいに空いている。
不要不急でない用事で、原宿と銀座に行く機会があったのだが、怖いくらいに人がまばらだ。
このままリモートワークが進めば、自宅をオフィス化する経費が認められ、もっと広い家に住めるようになるのだろうか。
それでも僕は、都会に住みたいし、混み合った街の喧噪を離れた路地で一休みしたい。
マスクの配布は、僕は「効果」があると思う。
人は、モノを見れば安心する。
全く売られていないマスクを手にすることで、今の不安やパニックは多少軽減するのではないだろうか。
そして、これは「逆効果」にもなるのだろう。
マスクがあることで安心し、うがいや手洗いがおろそかになったり、不要不急の交流を再開したりすることになるだろう。
不安は面倒だとは気づいていたつもりだが、今回わかったのは、安心も十分に厄介だ、ということだ。
ところで、世界規模の困難、「世難」とでも称してくれれば、少しは見直すのだが、「国難」とは聞こえ心地のいい言葉なのだろう。
追悼番組を視聴。
人を笑わせることを真剣にやることの偉大さ。
お笑い芸人のすごさのほんの一部に気づいてから、まだ10年くらいしか経っていない。
確かに熱心な視聴者ではなかったにもかかわらず、埋めきれない喪失感がある。
「次の機会で偶然番組がかかっていれば見られる」という安心が、もうない。
それにしても、「追悼番組にも登場させない」という事実で、罪深さを改めて知る。
「こんな時くらい」と思ってしまうのは、自分の甘さだ。
気づかなかったけれど、これまでも、志村さんのためにうがい、手洗い、換気を心がけ、人と離れて会話をしてきた。
これからも、同じ。