曇天の続き

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2019-12-30 Mon.

爆振

2019-12-30

年が明けるまでにもう1度見直したいと思っている「M-1 グランプリ 2019」だが、見直す時間が取れそうにない。
なので、以下は、放送時に1度だけ見て、あとはメディアでの振り返りをいくつか目にしている2019年12月30日現在の「M-1」に対する僕の感想である。

おもしろかった。
画面の前で、ものすごく興奮した。
あまりに興奮しすぎて、放送日の夜、寝ているときに吐き気がして、実際に嘔吐して、翌朝高熱が出て1日中寝ていたくらいだ。
寝込んでいるときにもう1度見るという手もあったが、その時はそんなことを思いつけないくらい高い熱が出た。

何より、これは今まで一切なかったことだが、あの大舞台にもかかわらず、決勝出場者の誰に対しても「ああ、今回はいまいちだな」ということを感じなかった。
記憶がないインディアンスのことは除くとして、昼の敗者復活までさかのぼっても「今一つ」だったのは囲碁将棋だけだった(それでも、取り返してはいた)。

決勝で、かまいたちが出て、和牛が出たあと、今回の大会はもう早々に山場を越えたと思った。
あと1組誰かが出るものの、どちらかが優勝するのだと思い、力を抜いた。
次の順番がすゑひろがりずに決まった時、これで彼らの運命が決まってしまったと思い、ものすごく怖かった。
彼らが面白いということを知っていただけに、この種類の面白さが和牛の後に伝わるのだろうか、せめて悪い印象が残らず終わればいいが、とまで思った。
それが絵にかいたような「杞憂」だったことに安堵したし、そんなことを考えた自分を深く恥じた。

ミルクボーイは、もう驚愕だった。
全く知らない人たちにここまで揺さぶられることに、心底感動した。
まずフレームワークをわかりやすく提示することで、客は話の次の方向を認識し、あとはどのような仕掛けで自分が持っていかれるのか、身をゆだねて期待して笑い待ちする。
これは、実生活で人に物事を伝えるときにも役に立ちそうなメソッドだ。
思いのままに動かされ、その時点では何で笑っているのかもわからないくらい笑わせられることが、心地よかった。
そのあとのオズワルドも見事だった。

あとは、ぺこぱ。
「おもしろ荘」で知っていたので、これも伝わるかどうかという怖さがあったが、衣装をやめたという判断と、出演順が1番最後になったという運、緊張感を残したインディアンスの後というのが、はまった。
「受け止めるツッコミ」というのは今の「やさしい時代」に合っていて、いくらでも、いつまでも聞いていられる。

見終わって、錦鯉を含めて、もう「お笑い第7世代」とかではないのだな、という印象が強まった。
かつて「レコード大賞」で味わった興奮が、クリーンでリアルな現代的賞レースとなって戻ってきた。
国民的行事となった「M-1」の威力が、今後も持続するのだろうか。
それは、パフォーマンスが視聴者の目にさらされるまでに行われる予選の、「審査」の質にかかっていると思う。
そのフィルタリングにうそやうさん臭さを感じるようになったら、視聴者は興味を失うだろう。

あとは、審査員である。
出場者にここまでやられると、審査員は出場者に何か言うことをやめざるをえず、司会者をいじったり、発言で自滅したりするようになるようで、今回はその兆しが見えた。
放送後、審査員への礼賛を続けるメディアが多いが、僕はいくつか大きく失敗していたと考える。

そして、前回までM-1の準決勝までは到達していたものの、結成15年までという出場資格を失っていった漫才師たちの居場所は、今回の結果で一掃された。
その具体的な名前を出すのも怖いが、忘れっぽい僕のことだから、いずれ彼らが存在した記憶もなくしていくのだと思う。

最後に、この年末、誰かどぶろっくのことにも触れてほしいと思う。

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