寛容
受容できる範囲内の失敗を恐れるよりもチャレンジの方が重要だと僕は考える。
なので、普段ならとがめないところだ。
それでも「ひげを手入れする暇があるなら練習しろ」と思ってしまうのは、僕が古い人間だからなのか、あるいはひげがまばらに生えてしまうことによる嫉妬があるからなのだろう。
ジュウヨン(重要)な場面でジュウシン(重心)が取れていなかったのだろうか。
「手の震え」という点であれば、僕は欅坂46よりも、後半のウッチャンの方が気になった。
小学生の時に橋幸夫の物まねを練習し、「潮来笠」をカセットテープに吹き込んでいた人が、40年以上を経て紅白歌合戦の総合司会を担い、「いつでも夢を」を歌ったシーンで、最も笑った。
あと、NHKホールから横浜アリーナに呼び掛けた時、ウド鈴木が出るのかと勘違いしたことを、ここに記す。
全般的に、軽薄で無難だった、という印象は強い。
2階のルーフステージがなくなったことには好感が持てる一方で、審査員席が前回同様ステージ下手側に設けられたのは、審査員が始終観客やカメラにさらされており、よくないものと考える。
そもそも、審査員数が8名にまで減ったことが、気に食わない。
ステージの作りのせいで会場がとても狭く感じられ、豪華感が失われていた。
ステージを映す際に見えるカメラスペースは、興ざめだった。
軽薄だと感じるのは、ヒットした歌が少ないからである。
紅白に期待してしまう、重厚感あるコンテンツがなかった。
いくら演出が凝っていても、視聴者に迎合しても、メインコンテンツがなければ、つらい。
過去の曲を出したら文句を言われるし、過去の人を出すのももってのほかだ。
紅白が紅白らしくなくなるのは、歌がないからである。
その点で言うと、今回の出演者のほとんどは、しっかりとした仕事をしていたと考える。
数少ないミスマッチの一つは、郷ひろみの演出である。
これは強く言いたいが、やはり、郷ひろみでは演出に無理があり、偽物のように見えた。
強い意志をもって荻野目洋子にするべきだった。
事情が分からないので、「オファーを断られた」とまで思いたいくらいだ。
無難だったのは、ウッチャンがいたからである。
ウッチャンにオーダーすれば、安定と盤石の内容になるに決まっている。
ウッチャンは、TV番組の王道を最も理解し、それを尊重するタレントの1人である。
自身のネタに持っていきがちな鶴瓶には、こうはできない。
これは、2018年の「鶴瓶大新年会」を見ても、自明である。
僕は、2017年は「安心な紅白」という選択でよかったと思う。
ただ、これが毎年だと、どうかと思う。
また、国民すべてが「安心な紅白」で納得していたかというと、そうは思えない。
結局は、安易なキャスティングや手軽な企画物ではなく、NHKでしか見られないものを見たい。
その力がないのなら、受信料を支払っている甲斐がない。