不振
2017-11-28
「話がかみ合わないな」と感じていた原因は、僕が発した「見逃した」という言葉にあった。
ある話し合いで、話者の論理展開が強引に感じ、僕はそれに気づいた上で指摘しなかった。
議論の目的がすでに明確であり、論理展開の強引さを正すよりも議論の進展を優先するべきと考えたからだ。
後日、その件が蒸し返され、意見を求められた僕は「その件は「見逃した」」と答えた。
それに対し、「「見逃す」のは注意散漫といえる」という趣旨の指摘を受けた。
指摘の内容を理解できなかったが、聞きただすのもまた本筋から離れることになりそうだ、と判断し、この件についても反駁せず見逃した。
数日経って、突然気づいた。
「見逃す」には、2つの意味があるのだと。
この時僕がつかっていた「見逃す」の意味は、「見過ごす」である。
つまり、気づいていたけど、何も言わなかった、ということを表現したかった。
一方で、指摘を受けた文脈でつかわれた「見逃す」の意味は、おそらく「見落とす」である。
僕のチェック機能が働いていないために気づかなかった、と相手に思われたのだ。
指摘を受けたのも、かみ合わない理由も、すべて僕が「見逃した」ことに起因している。
指摘を受けた件については、指摘を受ける覚悟を持って行っていることだ。
一方で、かみ合わなかった件については、こちらに修正の余地がある。
「見逃す」は、誤解を生じさせる危険な言葉である。
この日記でも、2つの意味で用いている個所がある(「見過ごす」の例と「見落とす」の例)。
今後は、つかわないように気を付けよう。