小槌
2017-11-02
新栗の季節となり、僕は甘栗店へと足を運ぶ。
「サイズはどれに」との店員の問いかけに、「1,000円のものを」と答える。
「1,080円です」というので、千円札を2枚差し出す。
おつりの920円を受け取る。
時々、「このようなやり取りがよくも成り立っているな」と感心する。
僕は小銭を持っていないために、千円札を2枚渡した。
その際、店員が「お前2,000円持っているじゃないか。じゃあ、代金は2,000円ね」と言い出すことは容易に想定される。
このような言い分が出てこないのが、よく考えると不思議だな、と思う。
こんなことを思うのには、中学高校期を小倉で過ごしてきたことが影響しているのだろうか。
現金をいくら持ち合わせているかを周囲に知られると、とても面倒なことに巻き込まれかねない、という懸念はいつもあった。
まあ、本当に金を持っていなかったのだが。
このエピソードから、わが生誕地を「修羅の国」と呼ぶのなら、そう呼ばせておこう。
しかしながら、僕から言わせてもらうと、他の人があまりに無防備なのだ。
周囲が秩序に従って行動していることは、決して当たり前のことではなく、とても恵まれていることだ。
それに、金を持っていることを知られたら、面倒な奴らが付きまとってくるのは、今も同じである。
ああ、金を持っていなくてよかった。