曇天の続き

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2013-03-04 Mon.

水晶

2013-03-04

木場に行った際、門前仲町まで歩いた。
門前仲町に行ったら、富岡八幡宮と深川不動尊にお参りするより他ない。

きわめて不遜なことをいうが、神社仏閣に詣でて一体何をすればいいのだろう、と思う。
そのあたりについて、これまで誰も何も教えてはくれなかった。
あるいは、親切に教えてくれようとしてきた人たちを徹底的に無視してきた。

神社仏閣で何をするか、自分で勝手に定めることにした。

まず、神社では、手を合わせて、これまでの無事に感謝する。
そして、今後も平穏無事に過ごせる努力を怠らないようにすることを見守っていてほしい、と願う。
後は、あちらこちらにある立札の解説を読み、納得する。

一方で、寺において、何をしていいものか悩む。

これまで、手を合わせれば自動的に「何かいいことがありますように」と願ってしまいがちだったが、寺ではそれはどうも間違っているような気がする(深川不動尊では奨励されているようだが)。
寺とは修行の場である。
自分勝手な願望などを頭に思い浮かべずに、無心になって手を合わせるべきではないか。
しかし、無心など、僕には縁遠い概念だ。

結局、寺では死者のことを考えることにした。

子供のころ、祖父や祖母に連れられて、よく寺に行った。
退屈するのが分かっていて祖父母について行くのだから、自分でもよくわからない。
それゆえ、寺に行くと、祖父母のことを自動的に思い出す。

祖母は生きているが、祖父は数年前に亡くなった。
寺では、祖父のことを考えて、手を合わせておけば、まず間違いないのではないかと思う。
後は、あちらこちらにある立札の解説を読み、納得する。

ただ、深川不動尊ではどうも宗派が異なるように思う。
まあいい。
今後は、どこの宗教の教会でも、祖父のことを思い出すことにしよう。

ところで、深川不動尊には、なぜ多くの賽銭箱があるのだろう。
もしかしたら、賽銭箱の前に賽銭箱を置いている寺も世の中にはあるのかもしれない。

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