曇天の続き

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2011-03-11 Fri.

遭遇

2011-03-11

久しぶりに東急東横線に乗る。
おそらく10年ぶりではないだろうか。

久しぶりの東横線は、かなり進化していた。
代官山の工事は進んでいたし、目黒線が日吉まで延伸してずいぶん経つのだが、その様子を見たのは初めてだった。
特急に乗り、こんなにスピードが出るものかと感心した。

菊名で乗り換え、初めて新横浜駅で降車する。
普段は新幹線で通過しかしてこなかった新横浜の街並みは、何というか大がかりなビルが多くて落ち着かない。

そして、激しい揺れ。
マクドナルドの2階で、パニックに陥る人たちを見た。
ついに「来るべき時」が来たか、と覚悟を決めた。

周囲が落ち着いてからビックカメラに行き、TVで状況を確認する。
東北地方の太平洋沖が震源ということが分かり、ひとまず都内近郊を地震が直撃したわけではないことを知る。
確かに甚大な災害が発生したが、少なくとも関東においては想定していた最悪の事態ではないとわかる。
あってはならない映像を見て動揺したのは確かだが、動揺している場合ではない。

新横浜駅を発着する鉄道は、すべて止まっている。
復旧を待つ場所を確保する必要がある、と判断した。

ひとまずケンタッキーフライドチキンに入店。
今朝から「醤だれチキン」を食べようと楽しみにしていたのだ。
しかし、この店では今日から店舗限定で「旨塩 生姜チキン」を販売しており、「醤だれチキン」の販売は取り止めていた。
店員の話によると、神奈川県内で「旨塩 生姜チキン」を販売しているのは2店のみ。
その1店に当たってしまった。
「旨塩 生姜チキン」を注文したが、すぐにガスが止まり調理がストップ。
ストックされていた脚の2ピースが提供された。

鉄道がいっこうに回復しないので、店内にとどまることにする。
店の調理が止まっているので、売っているものも限られている。
初めてビスケットを食べてみたが、すごくおいしかった。
ジンジャーエールを頼んだが、これは「ショウガが体を温めるから」ではない。

ようやく携帯電話が機能するようになり、通話やメールで自分の状態を伝える。
これからは、自分の安全を優先して行動することになる。
各自が自分の安全を考えて自律して行動すれば、それが周囲の安心へとつながるはずだ。
離れた人を心配しても、今は何もできない。

席はそのままでコンビニに行き、東京スポーツ、お茶、チョコレート、ガムを買う。
おにぎりやサンドウィッチはすでにないが、明日の昼ぐらいまでなら何も食べなくてもやっていける。
一晩をどこかで明かすことになっても、これらでやり過ごすことができるはずだ。

20時。
ケンタッキーが閉まることになり、店の人にお礼を言って立ち去る。
鉄道は、新幹線が新大阪方面のみが復旧し、その他は復旧していない。
JRの在来線に関しては、全線において当日中の復旧はないと言っている。

どうしようかとさまよっていると、「団体待合室」との表示を見つける。
案内に従い行ってみると、そこには暖房が備えられた部屋があった。
椅子もないただの部屋なのだが、少なくとも寒さはしのげる。
部屋の中は20人ほどしかおらず、十分に空きスペースがあった。
おそらくここが閉鎖されることはないと予想できたので、今夜はもう動かず、ここで夜を明かすことに決めた。

奥の壁際に東京スポーツを敷き、タイル3枚分のスペースを確保する。
床は冷たいし、横にはなれないが、体を休めることはできる。
体力を温存し、明日の帰宅に備える必要がある。
多くは望まない。

最終的に、待合室には100名以上の人が入り、みんなで夜を明かした。
スーツ姿、作業着姿、外国人観光客、学生、高齢者、子ども連れなど、様々な人がいた。
特に連帯があるわけでもないが、ほとんど誰も騒がず、落ち着いて夜を過ごすことができた。

時折ガムをかみ、集中力をとぎれさせないようにする。
照明がついているし、人が気になってどうせ眠れやしない。
ストレスをためないためにも、今夜は眠らないことを決める。

場所を提供してくれたJR東海には、本当に感謝したい。
お店の人たちにも、自分のことを差し置いて営業を続けていただけたことに、とても感謝している。

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