曇天の続き

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2011-02-04 Fri.

野原

2011-02-04

「小倉に原爆が落ちた日」(朝日新聞西部本社編、1983)を読了。
発行所はあらき書店、印刷所は天地堂、という懐かしい取り合わせ。

1982年8月5日付け朝日新聞西部本社朝刊に掲載された特集を継承した本。
当初の予定通りに小倉に原子爆弾が投下されていたらどのくらいの被害が出ていたかを、九州大学の森茂康先生がシミュレーションした結果が掲載されている。

もっとも、シミュレーション結果を見るまでもなく、今の僕は存在していない。
本の中に登場する、後に僕の右腕の骨折を治療してくれる医師もおそらく被害を受けていらっしゃっただろう。
その医師は、僕の友人の親戚でもある。

平和通り、浅香通り、小文字通りの道路幅が広いのは、空襲による延焼を防ぐために民家を取り壊したあとに道ができたからだとか(確かに、小倉には似つかわしくない道路幅である)。
そして昭和20年頃にいた、小倉祇園名物のけんか太郎とあるが、一体何のことだろう。

なるほど、甚大な被害を加えたにもかかわらず、鉄道が機能を取り戻し、数百キロを移動できていたのは、興味深いことなのだろう。
事実、僕もその話を聞き、改めて驚かされた。
そして、どういう思いで鉄道を動かし続け、また何を思い帰路を急いだのか、考えさせられた。

映像からセリフを起こしたものでしかわからないが、あの番組の取り上げ方はちょっとありえない。
必死の行動に「運の悪さ」と言い放つ地獄をもたらしたのは、人間である。

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